飛鳥時代の仏像の特徴 その後の時代とは違うところがあるの?
仏教が伝来した538年から大化の改新の645年、あるいはその後20年くらいまでを仏教美術史的に「飛鳥時代」と区分されます。その飛鳥時代の仏像の特徴とはいったいどのようなものでしょうか。
大陸に起源をもつ飛鳥時代の仏像
飛鳥時代にはすでにさまざまな仏像や経典が伝来していましたが、それぞれの個性やご利益の特徴などはまだ理解されておらず、人々は尊像の種類に関係なく、現世利益を願ったり、先祖の霊の追善を祈ったりしていました。
飛鳥時代の仏像のほとんどが渡来系の工人とその子孫の作った物であるとされ、その代表人物には鞍作止利(くらつくりのとり)がいます。渡来人とは中国大陸および朝鮮半島から日本に移住し、帰化した人々のことを言います。つまり飛鳥時代の仏像は、大陸の文化の影響を受けながらも、国内で独自に作られたものが多いといえます。
飛鳥仏の特徴
仏像の目は、大きく分けると彫眼と玉眼に分けられます。彫眼は目を直接彫ったもので、玉眼は水晶を使った目のことです。平安時代以前の仏像は彫眼でした。
飛鳥時代の仏像の目は、それ以降の切れ長で伏し目がちなものに比べて、杏仁型(きょうにんがた)でぱっちりしており、上瞼と下瞼の縁線が同じ長さであることが特徴です。
鼻はそれ以降の時代のものよりも高く狭く作られており、耳の形は長方形で穴は開いていません。
飛鳥仏の一番の特徴といえるのが口元の形ではないでしょうか。それ以降の時代に作られたものはだいたいが口を真一文字に結び、どちらかというと冷ややかな表情に見えるのに比べて、この頃の仏像は「アルカイック・スマイル」といわれ、両端を少しあげ、かすかな微笑みを湛えています。
輪郭はそのほかの時代に比べて面長で、丸みを帯び他の時代の仏像とは違い、角ばっています。
肩はいかり肩が多く、極端な反り身であります。衣服の特徴としては、左右対称の幾何学模様です。木造か金銅像に限られます。
仏像にみられるそれぞれの特徴
飛鳥時代の仏像には有名なものとして、中宮寺の菩薩半跏像、法隆寺救世観音像、法隆寺釈迦三尊像、飛鳥大仏などがあります。
中宮寺菩薩半跏像は「アルカイック・スマイル」の典型とされ、スフィンクス、モナ・リザとともに、世界の三つの微笑像と呼ばれています。この仏像の名前にもある半跏とは、「半跏趺座」の略で、片足を他の足の股(もも)の上に組んで座ることをいいます。
法隆寺救世観音像はS字状の独特なポーズをとっており、杏仁形の目をしており、この像は聖徳太子の等身像と言われています。
法隆寺釈迦三尊像は鞍作止利の作で、杏仁形の目、正面性、厳格性を重視した止利仏師派の仏像の特徴を備えているとされています。長い顔と長い首、分厚い唇や三角の大きな鼻もこの仏像の特徴です。
飛鳥大仏は高さ3メートルほどの銅像で、我が国最古の仏像で、609年に鞍作止利によって作られましたが、鎌倉時代に火災や落雷などで激しく損傷し、補修された部分が多くなっているそうですが、その文化的価値は国宝級だとされています。