第9代将軍 徳川家重は女性だったという噂の真偽は!?
名君と言われた第8代将軍:徳川吉宗の長男として生まれ、将軍職を譲られた第9代将軍徳川家重。
彼といえば、脳性麻痺だったや暗愚だったという話が多く聞かれますが、女性だったという説があります。
いったいどうして、そんな話が出てきてしまったのでしょうか。
徳川家重とは
正徳元年12月21日(1712年1月28日)父:徳川吉宗、母:お須磨の方(深徳院)の長男として、江戸赤坂の紀州藩邸で生を受けた徳川家重。
生来病弱で、脳性麻痺による言語障害を患っていました。それに加えて猿楽(能)などの趣味に没頭し、文武をおろそかにしたため、父の吉宗や側近たちを大いに困惑させたとされます。
しかし、家重の子:家治は幼い頃から非常に聡明で吉宗に偏愛されました。次代の将軍として家治を据えるために、吉宗はまず家治の父である家重に将軍職を継承したとも言われています。
アテトーゼタイプの脳性麻痺であり、その典型的症状である歯ぎしりを四六時中行っていたため、家重の歯には約45度の角度での摩耗が見られます。
歴代将軍の中でも端整な顔立ちをしていたことが、発掘された頭蓋骨の調査でわかりました。しかし、顔面麻痺のため、肖像画にはひょっとこみたいな顔で描かれています。
長じてからは自身の病弱さを嘆いてか、酒と女に溺れるようになりましたが、田沼意次を重用したことで、人事能力には長けていたと評されています。
家重の女性説を裏付けるとされる理由とその真偽
- 頻尿だったと言われているが、体の構造上、男性よりも女性の方が頻尿になる確率が高いこと
- 家重の死因は尿道感染または尿毒症と言われているが、これは衛生面の悪いこの時代、女性に多かった死因であること
- 側近の大岡忠光しかまともに声を聞いたことがなかったため、言語障害というのは女声を隠すための策略だったのではないかという説
- 大奥にいりびたっていたにも関わらず、子が二人しかいないこと
- 頭蓋骨や骨盤が女性のような形をしていたこと
- 歴代の将軍は胡座の形で葬られるのが慣例だが、家重の場合のみ女性を葬る時の形である正座の姿勢であったこと
この他にも諸説ありますが、以上のようなことから、家重女性説がでてきました。
しかし、全て確たる資料の裏付けはなく、未だ推測の域を出ず、本当のことはわかっていません。
二人の子どもをもうける
生来の病弱さに加えて、女性説まである徳川家重ですが、二人の男子に恵まれました。
後に10代将軍として家重の後を継ぐ家治と、清水徳川家の初代当主となった清水重好です。
もし家重が女性ならば、この二人の子はどうやって生まれたのでしょう。
以下の2つの説があげられるのではないでしょうか。
- 吉宗の子を密かに家重の子として育てたという説
- 誰かに頼んで、家重自身が身ごもった説
後者ならば、妊娠期間中は大奥に引きこもっていればいいのです。この時は家重が将軍職を継いでいたとはいえ、実権は吉宗が握っていたのだから政治は吉宗や田沼意次などの側近にやらせておけばいいのですから。
しかし、女性説の真偽が未だわかっていないので、この2つの説も憶測にすぎませんが…。
上杉謙信にも女性説がありますので、興味のある方は合わせてお読みください。