東郷平八郎が肉じゃがを考案したっていうのは本当!?
幕末から明治時代にかけての軍人で、海軍大将にもなった東郷平八郎。
その海軍大将が、「彼女に作ってもらいたい料理」のステレオタイプである肉じゃがを考案したという逸話があります。それは本当のことなのでしょうか?
イギリス留学の目的
東郷はイギリスに海軍士官として官費留学をしていました。初めは鉄道技師になることを夢見てイギリス留学がしたいと同郷の先輩である西郷隆盛に相談をもちかけますが、「鉄道技師としての留学の計画はない」と言われました。
西郷はこれからの日本には海軍力が必要で、その海軍には東郷が必要だと説得したのです。東郷は軍人にはなるつもりはなかったのですが、イギリス留学がしたいという夢をあきらめきれず、鉄道技師としてではなく、海軍士官として留学し、海軍を生涯の仕事としようと決意したのです。
東郷のわがままがが肉じゃがのきっかけ!?
海軍中将で舞鶴鎮守府の初代鎮守府長官であった東郷は、イギリス留学時に食べたビーフシチューの味が忘れられず、艦上食として作れと部下に命令をしました。
しかし、ビーフシチューに使われるワインもドミグラスソースも無く、料理長もビーフシチューを食べたことが無いといった状況。そこで料理長は東郷の話を聞いてイメージし、ドミグラスソースの代わりに砂糖と醤油で味付けして苦心の末にできたものが「甘煮」といい、現在の肉じゃがの原型と言われています。
ですが、当時はすでにビーフシチューは一般的に広まっており、料理長がそれを知らなかったのはおかしいし、牛肉を砂糖と醤油で煮るという手法は以前からあったことなどから、東郷が肉じゃがを作らせたというのは都市伝説だという意見もあるそうです。
当時の日本の軍人たちはビタミン不足による脚気が流行っており、それが原因で死亡する者も少なくなかったそうです。イギリスに留学していた海軍軍人・高木兼寛は、イギリス人には脚気が見られなかったことから、食べ物の違いに注目し、食生活と病気には何らかの因果関係があるということを発見し、兵食を洋食に代えようと提案します。
しかし、当時の洋食は「バタ臭い」と不評であり、食事が唯一の楽しみとする兵士たちの士気を弱めることになりました。そのため東郷は効果的に牛肉を食べられるようにと、ビーフシチューのかわりになるものを作らせたのではないでしょうか。その結果、海軍の脚気患者は激減しました。(脚気はウイルスのせいだと信じていた陸軍の脚気患者が減らなかったことと対照的です。)
肉じゃが発祥の地は?
肉じゃが発祥の地の候補としてあげられているのは、2か所あります。京都の舞鶴と、広島の呉です。舞鶴は上記した通り、東郷が舞鶴鎮守府の初代鎮守府長官であったことから。そして呉は海軍の港があり、そこに東郷が参謀役として赴任していたことから、二つの説があげられています。
舞鶴は、当時の肉じゃがのレシピが全国で唯一残っていること、東郷が留学したイギリスのポーツマスから「舞鶴が肉じゃが発祥の地」とお墨付きをもらっていることなどを主張しています。対する呉は、舞鶴よりも先に東郷の赴任先であったこと、そして舞鶴のレシピは現代風にアレンジされたもので、東郷の作らせたものとは別物であり、呉ものは海軍のレシピ通りであると主張しています。
両者は1997年から約20年間、互いに一歩も引かず「肉じゃが戦争」なるものを続けているそうです。
現在と当時の肉じゃがの違い
現在の肉じゃがは作る人によっても違いがあるとは思いますが、インゲン豆や人参を入れたりしてさらに洋風に近いものになっているといえるのではないでしょうか。
みりんを入れたり、砂糖の代わりに蜂蜜を入れたり、だしの素を使ったりと、それこそ当時では考えられなかった調味料を入れる方もいると思います。東郷の時代、洋食が嫌われた理由の「バタ臭い」という言葉にも入っている、バターを使う方もいるみたいですね。
東郷の命により作られた肉じゃがは「甘煮」と言われ、「海軍厨業管理教科書」によると、材料は牛肉、蒟蒻、馬鈴薯、玉葱、胡麻油、砂糖、醤油で作られています。
作り方としては、まず胡麻油を入れて火にかけ、3分後牛肉を入れ、7分後砂糖を入れ、10分後醤油を入れ、14分後蒟蒻、馬鈴薯を入れ、31分後玉葱を入れ、34分後に終了とされています。注意点として、醤油を早くに入れると醤油臭くなり、味が悪くなると書かれているそうです。1分刻みでレシピに書かれているなんて何か実験みたいですね。
当時の味を楽しめる場所は
舞鶴と呉の「元祖肉じゃが発祥の地」争いは未だに続いており、定期的に地元のイベントに参加し、お互い自慢の肉じゃがを振舞うということを行なっています。これは2013年の時点で販売総数1000万個を達成しています。
舞鶴ではメーカーとの共同開発商品として「元祖肉じゃがコロッケ(味のちぬや)」なるものも売り出されています。
また、平成7年に「まいづる肉じゃがまつり実行委員会」を結成し、「まいづる肉じゃがまつり」を開催しています。
呉では大和ミュージアム来館者駐車場2Fにある「呉 ハイカラ食堂」で「海軍肉じゃが」という当時の味を残した肉じゃがが食べられます。
その他にも、初代店主が海軍の料理人であったという「田舎洋食 いせ屋」など多くのお店で当時の味が楽しむことができます。