新撰組の剛腕 芹沢鴨が酒乱だったのは梅毒という病気の恐怖からだった!?
新撰組(壬生浪士)の初代局長(頭取)であった芹沢鴨。
彼は酒乱で粗暴な人物として知られていますが、彼が酒を手放せなくなったのは病気のせいだと言います。
彼は一体何の病気だったのでしょうか?
梅毒のせいでお酒が手放せなくなった?
梅毒は、ペニシリンがなかった江戸時代には死亡率が高い病気でした。
死ぬ間際にも芸妓をはべらしていた程、芸妓遊びが好きだった芹沢も梅毒にかかり、死への恐怖をまぎらわせるためにお酒ばかり飲んでいたのではないかと言います。
同じ浪士組であった草野剛三こと中村隆維が、この芹沢=梅毒という説の出どころとされています。
芹沢を襲ったと言われる梅毒とはどんな病気なのか
梅毒は梅毒トレポネーマという細菌によって発症する性感染症です。
乱交、売春、コンドームの不使用などの性行為に起因します。
この時代はコンドームはもちろん、抗生物質であるペニシリンもなかったので一度感染すると死を待つしかない病気でした。
特に遊郭では梅毒が蔓延していました。
梅毒にかかると、全身に発疹ができ、リンパ節の腫れ、発熱や倦怠感といった症状が出ます。
重症化すると脳・神経・脊髄を侵されて死に至ります。(現在では梅毒による死亡は稀です)
本当に芹沢は梅毒だったのか!?
芹沢が梅毒に感染していた可能性はゼロではありません。
芹沢が梅毒ではないという根拠は以下の通りです。
- 死因は暗殺であって梅毒ではないこと
- 芹沢が梅毒であったという明確な記録がないこと
(ちなみに沖田総司が労咳=結核であるいうことはちゃんと記録として残っています)
しかし、反対に芹沢が梅毒であったというのも、芹沢と数日共にしただけの浪士が「芹沢は瘡(当時は梅毒のことを瘡病と呼んだ)に悩んでおり、病気のために京に残した」と証言したというだけです。
結局明確なことはわかっていません。
しかし、会津藩兵が突きつけた槍を鉄扇で払いのけたという八月十八日の政変での出来事、力士と乱闘して力士を切り殺したという事件など、芹沢の剛腕さは枚挙にいとまがありません。
脳にも障害が出てしまうという末期の梅毒患者にこのようなことができたでしょうか。
梅毒ではなくただの酒乱!?
朝から酒を飲むほどの酒好きだった芹沢。もし梅毒による死の恐怖を紛らわすために飲んでいたのでなければ、ただのアルコール中毒だったのだろうと思います。
「飲んでいない時は聡明でいい人だった」と評されることもある芹沢。
酔ってないといい人だが、酔うと乱暴狼藉を働くというのもアルコール中毒患者に多いですよね。
暗殺された時も島原の遊郭で芸妓総揚げの宴会をしており、泥酔して寝ていたところを襲われています。
もしお酒がなかったら、もし芹沢が酒好きではなかったら…この暗殺犯は逆に豪剣である芹沢にやられていたかもしれません。
そして新撰組のその後、ひいては日本の未来は変わっていた…かもしれませんね。