大友宗麟は奴隷貿易でボロ儲け! その資金で九州を統一しようとしていた!?
戦国時代には奴隷貿易が行われ、たくさんの人々が海外へと売られていきました。
東南アジアやインド、遠くヨーロッパや南米にまで日本人奴隷の存在が確認されています。
奴隷自体は戦国大名たちの多くが略奪などによって領地に連れ帰ったりしていましたが、対外的なものになると、みんなが行っていたわけではないようです。
いったい誰が奴隷貿易の中心的な存在だったのでしょうか?
奴隷貿易を行っていたのはキリシタン大名?
ポルトガル人がいち早く上陸したこともあり、九州地方は南蛮貿易のメインでした。
そのため、九州大名が奴隷貿易に関わっていたことは明らかです。
キリシタン大名が奴隷貿易を行っていたという話をよく目にします。そもそも奴隷貿易禁止をポルトガル王に願い出たくらいのイエズス会宣教師たちがいるのに、そんなに多くのキリシタン大名が奴隷貿易に関わっていたのかという疑念がわきますね。
当時、キリシタン大名の中には独裁的な政治を行い、キリスト教以外の信仰を認めずに激烈な迫害を行った人物もいました。
もはやこのくらいになると、自身の専制統治のためにキリスト教を利用しているだけで、キリストの教えなんてどうでもよくなっているように思えます。
すると、それにあてはまるキリシタン大名が浮かび上がってきます。
それが、大友宗麟です。
大友宗麟とは
大友宗麟は、安土桃山時代から戦国時代にかけての豊後国の戦国大名です。
最盛期には九州の六つの国に領土を広げ、立花道雪や高橋紹運らの有能な部下に恵まれ、まさに九州統一の目前までこぎつけていました。
ところが、島津義久との戦いに敗れ、結局豊臣秀吉の勢力下の一大名で終わることになりました。
当初は禅宗を信仰していた宗麟ですが、徐々にキリスト教へと接近していきます。
フランシスコ・ザビエルを引見し、天正遣欧少年使節の派遣にも一役買いました。
そして、自身も洗礼を受け、ドン・フランシスコの洗礼名を与えられたキリシタン大名となったのです。
ただ、宗麟は人間的に問題のある人物で、家督争いの末に一族の者たちを多数殺害しています。
また、女癖が極端に悪く、倫理観が欠落していると指摘されてもいます。
そんな宗麟ですが、豪商らとの交友などが盛んであり、対外貿易で大きな利益を上げていました。
その中に、奴隷貿易が含まれているのではないかと言われているのです。
硝石と奴隷を交換していた?
徳富蘇峰(とくとみそほう)の「近世日本国民史」の初版には、秀吉の朝鮮出兵に従った者の手記が記録されています。
キリシタン大名や正名、豪族たちは火薬欲しさに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込む
とあり、これを信用するならば、硝石(火薬の原料)と奴隷を交換していたとみて良いでしょう。
天正遣欧少年使節の報告には、「ポルトガル人の教会や師父が硝石と(奴隷を)交換し、インドやアフリカまで売っている」とあるそうです。
他に奴隷貿易をしていたと疑われる大名
有馬晴信や大村純忠など、独裁的にキリスト教信仰を強制した九州のキリシタン大名には、奴隷貿易の話がつきまとっています。
彼らは南蛮貿易も盛んに行っていたため、改宗しない人たちを奴隷として売り渡したのではないかと言われていますが、明確な記録は残っていません。
まとめ
キリスト教は平和と愛を説くものではないかと思いますが、もし彼らが奴隷貿易を行っていたのなら、まったく神の教えに反していたのではないでしょうか。
鎖国の良かった点は、奴隷貿易を終焉に向かわせたことでしょうね。