三条実美はストレスに苛まれて、てんかんの発作を起こした!?
三条実美は天保8年(1837年)2月7日に議奏(公家の職制の一つ)である三条実万の三男として生まれました。
右大臣、太政大臣、内大臣兼内閣総理大臣、貴族院議員を歴任した明治政府の重要人物のうちの一人として数えられる人物です。温和な性格で政府内の対立を調整する役割を担っていました。
そんな三条実美はてんかんの持病を持っていたといわれています。
てんかんとは?
てんかんは脳炎などによってできた脳の障害や傷によって起こる「症候性てんかん」と異常が見つからない原因不明の「特発性てんかん」があります。
てんかんとは種々の成因によってもたらされる慢性の脳疾患で、大脳ニューロンの過剰な発射による反復性の発作(てんかん発作)を特徴とするとされています。
発作は「大発作」と言われる、意識喪失とともに全身がけいれんするもの、数秒から数十秒の間意識消失し、すばやく回復する「単純欠神発作」、意識障害に加えて自動症(舌なめずり・揉み手など)やミオクロニー発作(体を一瞬びくっとさせるものから意識消失して倒れるものなど様々な発作)などを伴う発作である「複雑欠神発作」などがあります。
てんかんは古くから存在がしられる疾患の一つとされています。紀元前100年から紀元前44年に活躍したユリウス・カエサルもてんかんに悩まされていたという記録が残っているそうです。
三条実美のてんかん発作
三条実美は征韓論でそれを進める西郷隆盛派と、反対派の岩倉具視・大久保利通派の間で板挟みになっていたそうです。
それは温厚な性格と太政大臣という立場から政府の調整役となっていた彼の宿命でしょう。
しかし、それは三条に大きなプレッシャーを与えてしまいます。
征韓論反対派の岩倉たちが外遊中、西郷隆盛たちの征韓論者は朝鮮に西郷を派遣しようとします。そのためには天皇の許しが必要です。その天皇の勅許をもらうために太政大臣である三条は、天皇へ奏上するように求められます。
しかし、その奏上を行うという日に重度のストレスにより三条はてんかんの発作を起こして倒れてしまったため、結局奏上は行われなかったといわれています。
その他てんかんだとされる著名人
カエサルや三条実美の他にてんかんとされる著名人はけっこう多くいるようです。
歴史的有名人としては画家のフィンセント・ファン・ゴッホ、軍人のナポレオン・ボナパルト、作家のドストエフスキー、哲学者のソクラテス、精神学者・心理学者のカール・グスタフ・ユングなどがいます。
最近では、ソウルオリンピック金メダリストのフローレンス・ジョイナー、元Xのベーシストの沢田泰司がてんかんとされています。