大山巌はダグラス・マッカーサーも憧れる偉大な軍人!?
元薩摩藩士で、明治政府では陸軍大将・元老・貴族院議員などを務めた大山巌は、西郷隆盛のいとことしても知られています。
そんな大山を、連合国軍最高司令官を務めたダグラス・マッカーサーが尊敬していたということが言われています。
あのマッカサーが大山巌と対面していた!?
ダグラス・マッカーサーの父、アーサー・マッカーサーは日露戦争時、駐日アメリカ大使館付駐在武官としてダグラスとともに日本に滞在していました。大山巌は同じく日露戦争時には元帥陸軍大将として日本勝利に大きく貢献していました。そんな折、マッカーサー親子は大山と対面していたそうです。
「素顔のリーダー ナポレオンから東条英機まで」(児島襄 著・文集文庫)によると、ダグラス・マッカーサーは「私と東洋との関係はもう四十年になります。最初は1905年日露戦争当時で、父が山下元帥の下に従軍し、私は父の副官として参りました。
その関係で大山元帥、乃木大将、黒木大将など数々の日本の偉大なる人物を知っております。」と、昭和天皇と初会見した時に回顧したと書かれています。またこの本には、マッカーサーはこれら日本の将軍たちを「鉄の性格と揺るがぬ目標」を持つ指揮官だと評している書かれています。
「マッカーサー回想録」(朝日新聞社・昭和36年)によると、「私は大山、黒木、乃木、東郷など(略)偉大な司令官たちに全部会った。そして日本兵の大胆さと勇気、天皇への殆ど狂信的な信頼と尊敬に永久に消えることのない感銘を受けた」と書かれているそうです。それほどまでにマッカーサーは大山のみならず、日本の将軍たちに敬意を払っていたということがわかると思います。
大山は敵国からも崇められる軍人だった!
また、大山は大国ロシア軍を破った英雄でありますが、大山が亡くなった時は敵国であったロシアからも、駐日大使のみならず、ヤホントフ少将が直に大山家に訪れて「全ロシア陸軍を代表して」と弔辞を述べ、霊前に花を飾ったといわれるほど、その人柄は温厚で諸外国からも尊敬の念を抱かれている人物でした。
そんな大山を、マッカーサーは自室に大山の肖像画を飾るほど尊敬していたと言われています。
マッカーサーのおかげで撤去を免れた大山像
大山巌の銅像は現在九段下公園内に置かれています。「九段下駅」から徒歩数分の田安門のすぐ側です。この銅像は戦前、国会前庭北地区様式庭園(尾崎記念公園)にあったと言われています。
第二次世界大戦時に資源として供出されて撤去された後、放置されていましたが、第二次世界大戦後、軍人の銅像は軍国主義の象徴とされ、GHQの命で次々と潰されていく中、大山を尊敬するマッカーサーのおかげでこの大山の軍装で乗馬姿の像だけは残されたそうです。