驚愕! 大隈重信の右足は現在もホルマリン漬けで保存されている!?
大隈重信は明治政府で活躍した政治家です。早稲田大学を創設したことでみなさんご存じなのではないでしょうか。
彼が外務大臣であった時、アメリカと結んだ不平等条約の改正案を出したところ激しい反対に合い、大隈を殺そうとした青年が放った爆弾によって、右足切断の重傷を負っています。
その切断された右足はホルマリン漬けにされて保管されていると言われています。
爆破襲撃事件に遭遇
大隈の右足は来島という青年が、大隈の乗る馬車に向かって投げつけた爆弾によって負傷しました。幸いなことに爆死ではなくてケガだけで済んだのですが、このときの爆弾は直接馬車に当たったのではなく、近くの門に当たったとされています。
そして、その拍子に爆弾の破片が大隈の右足に飛んできて負傷させたということです。その後切断されるという憂き目にあっていますが、命があっただけでもマシだったのではないでしょうか。この時代は暗殺(未遂も含む)事件が多く、伊藤博文のように実際に殺された人もいるので足一本で済んでよかったと大隈自身も思ったのではないでしょうか。
右足を切断
大隈の右足切断の手術は、日本のお雇い外国人医師のベルツ゚によって行われ、右足大腿部の下部3分の1くらいから切断されたそうです。
その後、大隈は義足を着用していました。切断された足は大隈自身の希望によって保存されたそうです。当時としては切断術は最新の技術だったので、そのサンプルとしても役立ったのではないでしょうか。
当初は自宅で保存
大隈の右足は最初はアルコール漬けにされて、大隈自身の自宅で保管されていたそうです。
しかし、保存のためのアルコール代が負担になったこと、また手間も大変だという理由から、赤十字中央病院に寄贈され、今度はホルマリン漬けにされて日本赤十字看護大学で保管されていました。
さらに1998年、この足は大隈が創設した早稲田大学に里帰り?し、さらに樹脂加工を施されて、現在は大隈家の菩提寺である佐賀県の龍泰寺にあります。
ここには足だけではなく、大隈家のお墓もあり、大隈重信の遺髪も右足とともに安置されています。
現在、見る事は出来る?
早稲田大学に寄贈されていた時は体育館に保存されていてけっこう誰でも見ることが出来たとされていますが、今はお寺に安置されているのでそう簡単には見ることは出来ないようです。しかし、切断した後に使用していた義足については、佐賀市の大隈記念館や早稲田大学の大学史資料センターで見ることが出来ます。
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