真珠湾攻撃において零式艦上戦闘機は120機が出撃しました。画期的な設計思想で知られ、1000馬力級の出力で世界最高峰と言われた零戦は、真珠湾でどのような戦果をあげたのでしょうか。
零戦とは
零式艦上戦闘機は第二次世界大戦期における日本海軍の主力として活躍した艦上戦闘機です。「零戦」の略称で知られ、「ぜろせん」「れいせん」と読みます。これは、零戦が制式採用された1940年(昭和15)は皇紀2600年にあたり、その下2桁が「00」であるためです。連合軍側はこれに『ZEKE(ジーク)』のコードネームをつけていましたが、連合軍側の将兵も『Zero(ゼロ)」と呼ぶことが多かったそうです。
支那事変から太平洋戦争初期にかけて、「2200kmに達する長大な航続距離」や「20mm機関砲2門の重武装」、「優れた格闘性能」を生かして、米英の戦闘機と優勢に戦い、米英のパイロットたちからも「ゼロファイター」と呼ばれ、恐れられました。開発元は現在も造船で知られる三菱重工業。日本の戦闘機では最多の約10000機が生産されました。
零戦とカーチスとの比較
真珠湾攻撃で出撃した零戦は「零式艦上戦闘機二一型」で、その後零戦は二度改良されています。零戦の性能を当時のアメリカの主力戦闘機である「カーチスP36A」と「カーチスP40B」と比較してみます。
零式艦上戦闘機二一型 | カーチスP36A | カーチスP40B | |
機体略号 | A6M2b | ||
全幅 | 12.0m | 11.38m | 11.4m |
全長 | 9.05m | 8.69m | 9.66m |
全高 | 3.53m | 3.71m | |
翼面積 | 22.44㎡ | 21.8㎡ | |
自重 | 1754kg | 2072kg | |
正規全備重量 | 2421kg | 2481kg | 3420kg |
翼面荷重 | 107.89kg/㎡ | ||
発動機 | 栄一二型 離昇940hp | プラット&ホイットニー R-1830-13 空冷14気筒 1050hp | アリソンV-1710-99レシプロエンジン1200hp |
最高速度 | 533.4km/h@4700m | 500km/h@3048m | 523km/h |
上昇力 | 6,000mまで7分27秒 | 9753m | |
降下制限速度 | 629.7km/h(340kt) | ||
航続距離 | 2222km | 1319km | 1520km |
武装 | 20mm機関銃 2挺7.7mm機関銃 2挺 | 12.7mm 機関銃1門7.62mm 機関銃1門 | 12.7mm機関銃 6門 |
爆装 | 30kg又は60kg爆弾2発 |
比較により、「正規全備重量」の軽さ、「最高速度」の速さ、「航続距離」の長さが際立っていることがわかります。
零戦は、最大速力、上昇力、航続力を満たすため、軽量化にこだわって設計されました。もっとも、ボルトやねじなど細部に至るまで徹底した軽量化を追求したため、初期の飛行試験では、設計上の安全率に想定されていない瑕疵が、機体の破壊に直結しています。1940年(昭和15年)3月に、十二試艦戦二号機が空中分解しテストパイロットの奥山益美が殉職、さらに1941年(昭和16)4月には、二一型百四十号機と百三十五号機が空中分解し墜落した百三十五号機を操縦していた下川万兵衛大尉が殉職する事故が発生しています。これを受け、開戦直前まで主翼の構造強化や外板増厚などの大掛かりな対策工事が行われています。
設計主務者で宮﨑駿監督作品『風立ちぬ』の主人公にもなった堀越二郎技師は、設計上高い急降下性能があるはずの零戦にこのような事態が発生した原因として、設計の根拠となる理論の進歩が実機の進歩に追い付いていなかったと回想しています。
航続距離
零戦は太平洋戦争初期において、長航続距離を以って遠隔地まで爆撃機を援護し同時侵攻することができた数少ない単発単座戦闘機です。当時の常識からすると空母なしでは実施不可能な距離の作戦でも、零戦は遠距離に配備された基地航空隊だけで作戦を完遂することができました。ただし自動操縦装置や充分な航法装置のない零戦で大航続力に頼った戦術は搭乗員に過度の負担と疲労を与えると同時に、洋上を長距離進出後に母艦へ帰還するために、搭乗員には高度な技量と経験が要求されました。
誘導機なしの戦闘機のみで行う洋上航法は、ベテランでも失敗の危険が高く、習得困難な技術でした。当時の洋上航法は、操縦しながら航法計算盤を使って計算し、海面の波頭、波紋の様子を観察してビューフォート風力表によって『風向、風力』を測定して、風で流された針路を『偏流修正』し、『実速』を計算し飛行距離、飛行時間を算出予測するというものでした。しかしながらその航法精度は高く、他の攻撃機爆撃機のように無線電信電話機能も弱く、ジャイロ航法支援機器もありませんでしたが、実戦で母艦に単機帰投した例も多かったそうです。
航続力において二一型は傑出していると言われるが、これは落下式増槽に加え、胴体内タンクに正規全備時の62Lの2倍を超える135Lの燃料を搭載するという例外的な運用を行った場合のことです。
20mm機関砲2門の重武装
カーチスが12.7mm機関銃で武装しているのに対し、零戦はそれより大きな20mm機関銃を武装しているところも特徴です。20mm機銃は「照準が難しく、修正しているうちに弾がなくなる」ため、戦闘機との格闘戦においては使い難いという欠点がありました。しかし、「照準さえ良ければ一撃でノックアウト可能」なため、開戦直後から主要部に重厚な防弾装甲を施されたB-17フライングフォートレスをも撃墜し、米軍に大きな脅威を与えています。

By: Cliff
優れた格闘性能
高い運動性能を持ち、他国の戦闘機よりも横、縦とも旋回性能が格段に優れていたといわれています。それは、気化器が多重の弁を持っていたために、マニュアル上背面飛行の制限がなかったことによります。これにより急激な姿勢変化に対するエンジンの息突きを考慮しないで済むため、機体の空力特性=旋回性能限界としての操縦が可能になりました。ただし、持続的なマイナスG状態での飛行では米軍機同様のエンジンストールが発生することが米軍の鹵獲機試験で判明しており、大戦後期の攻略戦法に取り入れてられています。初期のころ米国戦闘機には「ゼロとドッグファイトを行なうな」という指示が言い渡されており、これは同じ姿勢変化を追随して行なうとエンジン不調が発生する確率が高まることが理由でした。そうした一方で、低速域での操縦性を重視して巨大な補助翼を装備したため、低速域では良好な旋回性能が得られた反面、高速飛行時には舵が重く機動性が悪くなってしまいました。
零戦は操縦が極めて容易であり、運動性がよく、すわりもよかったので、空戦に強く、射撃命中がよく、戦闘機搭乗員の養成、戦力向上を比較的短時間に行うことができました。
真珠湾攻撃での戦果
真珠湾攻撃における日本側の空襲部隊の未帰還機29機、損傷74機、戦死55人でした。これに対し、アメリカ軍は戦艦8隻を撃沈または損傷により行動不能とする大戦果をあげています。
- 戦艦
- ネバダ(USS Nevada、BB-36):被雷1、被弾5、至近弾2。
- オクラホマ(USS Oklahoma、BB-37):被雷5。転覆。
- ペンシルベニア(USS Pennsylvania、BB-38):ドック内で被弾1。
- アリゾナ(USS Arizona、BB-39):被雷1、被弾8。800kg爆弾の命中による弾薬庫(火薬庫)の爆発で艦体切断・沈没。
- テネシー(USS Tennessee、BB-43):被弾2(不発弾1)。
- カリフォルニア(USS California、BB-44):被雷2、被弾1、至近弾1。着底。
- メリーランド(USS Maryland、BB-46):被弾2。
- ウエストバージニア(USS West Virginia、BB-48):被雷7、被弾2(不発弾)。着底。
- 軽巡洋艦
- ローリー(USS Raleigh、CL-7):大破。
- ヘレナ(USS Helena、CL-50):大破。
- ホノルル(USS Honolulu、CL-48):小破。
- 駆逐艦
- カッシン(USS Cassin、DD-372):大破、転覆。
- ダウンズ:(USS Downes、DD-375):大破、着底。
- ショー(USS Shaw、DD-373):中破。
- その他
- ヴェスタル(USS Vestal、AR-4):小破、擱座。
- オグララ(USS Oglala、CM-4):転覆。
- カーティス(USS Curtiss、AV-4):小破。
- 標的艦
- ユタ(USS Utah、AG-16):被雷2。転覆。
当時、航空機による戦艦など主力艦の撃沈は不可能であるという考えが主流でしたが、真珠湾攻撃以前の段階で航空機の脅威は無視できないものになっていました。それまで海戦において補助的な位置付けにあった航空機が主役として注目されると同時に、いかなる艦船でも航空機によって撃沈されうることが浮き彫りとなったのです。こうして大艦巨砲主義時代は終焉を迎え、時代は航空主兵時代へと移っていきました。