終戦記念日は日本では8月15日ということで認知度が高いですが、12月8日は太平洋戦争の開戦となった真珠湾攻撃の日です。
真珠湾攻撃の際の日本軍、アメリカ軍の戦力はどのようなものだったのかまとめてみました。
日本海軍
【第一航空艦隊】 – 司令長官:南雲忠一中将、参謀長:草鹿龍之介少将
●第一航空戦隊 – 南雲長官直率
空母「赤城」
- 第一次攻撃隊
九七式艦攻27機(水平爆撃隊15機=指揮官:飛行隊長・淵田美津雄中佐、雷撃隊12機=指揮官:飛行隊長・村田重治少佐)、零戦9機=指揮官:飛行隊長・板谷茂少佐 - 第二次攻撃隊
九九式艦爆18機=指揮官:分隊長・千早猛彦大尉、零戦9機=指揮官:分隊長・進藤三郎大尉
空母「加賀」
- 第一次攻撃隊
97艦攻26機(水平爆撃隊14機=指揮官:飛行隊長・橋口喬少佐、雷撃隊12機=指揮官:分隊長・北島一良大尉)、零戦9機=指揮官:分隊長・志賀淑雄大尉 - 第二次攻撃隊
艦爆26機=指揮官:分隊長・牧野三郎大尉、零戦9機=指揮官:分隊長・二階堂易大尉
●第二航空戦隊 – 司令官:山口多聞少将
空母「蒼龍」
- 第一次攻撃隊
九七式艦攻18機(水平爆撃隊10機=指揮官:分隊長・阿部平次郎大尉、雷撃隊8機=指揮官:分隊長・長井彊大尉)、零戦8機=指揮官:分隊長・菅波政治大尉 - 第二次攻撃隊
九九式艦爆18機=指揮官:飛行隊長・江草隆繁少佐、零戦9機=指揮官:分隊長・飯田房太大尉
空母「飛龍」
- 第一次攻撃隊
九七式艦攻18機(水平爆撃隊10機=指揮官:飛行隊長・楠美正少佐、雷撃隊8機=指揮官:分隊長・松村平太大尉)、零戦6機=指揮官:分隊長・岡嶋清熊大尉 - 第二次攻撃隊
九九式艦爆18機=指揮官:分隊長・小林道雄大尉(発動機不調で引き返し不参加)、零戦9機=指揮官:分隊長・能野澄夫大尉(零戦1機、故障で引き返す)
●第五航空戦隊 – 司令官:原忠一少将
空母「瑞鶴」
- 第一次攻撃隊
九九式艦爆25機=指揮官:分隊長・坂本明大尉、零戦6機=指揮官:分隊長・佐藤正夫大尉 - 第二次攻撃隊
九七式艦攻27機=指揮官:飛行隊長・嶋崎重和少佐(第二次攻撃隊指揮官)
空母「翔鶴」
- 第一次攻撃隊
99艦爆26機=指揮官:飛行隊長・高橋赫一少佐、零戦5機=指揮官:分隊長・兼子正大尉 - 第二次攻撃隊
97艦攻27機=指揮官:分隊長・市原辰雄大尉
駆逐艦「秋雲」
=艦載航空機399機(零式艦上戦闘機120機、九九式艦上爆撃機135機、九七式艦上攻撃機144機)
第三戦隊 – 司令官:三川軍一中 戦艦「比叡」「霧島」
第八戦隊 -重巡洋艦「利根」「筑摩」
第一水雷戦隊 – 司令官:大森仙太郎少将、軽巡洋艦「阿武隈」
第一七駆逐隊 – 駆逐艦「谷風」、「浦風」 、「浜風」 、「磯風」
第一八駆逐隊 – 駆逐艦「陽炎」 、「不知火」 、「霞」 、「霰」
第二潜水隊 – 司令:今和泉喜次郎大佐、潜水艦「伊19」 、「伊21」 、「伊23」
第一補給隊 – 司令:大藤正直大佐、油槽船、「極東丸」、「健洋丸」、「国洋丸」、「神国丸」
第二補給隊 – 油槽船「東邦丸」、「東栄丸」、「日本丸」
特殊潜航艇5隻(甲標的5隻)- 指揮官:佐々木半九大佐
他
特殊潜航艇に乗り込んだ「九軍神」
真珠湾攻撃に使用された特殊潜航艇は、甲標的甲型と呼ばれるタイプで、秘匿名称を「特型格納筒」といいました。この特殊潜航艇を開戦時の敵艦隊根拠地攻撃に使用することを発案したのは岩佐直治中尉で、彼は真珠湾攻撃時大尉に進級、「筒」指揮官として攻撃に参加しています。
この「筒」部隊は「特別攻撃隊」と称されましたが、「必死隊」ではなく「決死隊」であり、攻撃終了後に搭乗員を収容することを想定してありました。しかし実際には一人も収容することはできていません。
ちなみに、二人乗りの潜航艇が5隻出撃したにも関わらず、彼らが「九軍神」とされているのは、指揮官として出撃した酒巻和男少尉が、人事不省の状態で艇ごと捕虜になったことが、日を経ずして明らかになったからです。
アメリカ海軍
太平洋艦隊 – 司令長官:ハズバンド・キンメル大将
戦艦「テネシー」「カリフォルニア」「ウエストバージニア」「メリーランド」「ペンシルベニア」「アリゾナ」「ネバダ」 「オクラホマ」
重巡洋艦「ニューオーリンズ」「サンフランシスコ」
軽巡洋艦「セントルイス」「ヘレナ」「フェニックス」 「ホノルル」「ローリー」「デトロイト」
駆逐艦25隻 (ファラガット級×8、マハン級×8、クラベン級×7、ポーター級×2)
潜水艦「ナーホール」「ドルフィン」「タウトグ」「ガジョン」「カシャロット」
敷設艦12隻
カタリナ哨戒機14機
基地航空機399機
空母不在のアメリカ軍
真珠湾攻撃が行われた時、太平洋艦隊の空母「レキシントン」(搭載機80~90)と「エンタープライズ」(搭載機81~85)は、別任務のため他の任務部隊に派遣されており、そのため重巡洋艦2隻と軽巡洋艦1隻、駆逐艦11隻が空母に随伴して出動中でした。
また、戦艦コロラドは本土でオーバーホール中で真珠湾にいませんでした。真珠湾攻撃で日本は多くの戦艦に損害を与えましたが、戦闘の主力が戦艦から戦闘機に変わってきていたこの時に、空母を沈めることができなかったことは、後の戦況に大きな影響を与えました。