額田王と二人の天皇 その怪しい三角関係のヒミツ!
万葉の歌人、額田王。
王と付きますが、女性の皇族であり、二人の天皇から愛されたことから、絶世の美女として後世の小説などには描かれてきた人物です。
そんな彼女と彼女をめぐる二人の天皇とのヒミツの三角関係について迫ります。
額田王と天武天皇の関係
額田王は一説では采女(地方豪族の娘で天皇や皇后などの身の回りの世話をする女性)出身とされていますが、父の鏡王は宣化天皇の曾孫とされ、皇族出身だという説もあります。
そんな彼女は「日本書紀」の記述によると、大海人皇子(後の天武天皇)に嫁ぎ、十市皇女(天智天皇の息子の大友皇子妃)を生むと書かれています。
天智天皇と天武天皇の関係
中大兄皇子(後の天智天皇)と大海人皇子は舒明天皇を父に、皇極天皇を母とする同母兄弟です。
一説では大海人皇子が兄とするものもありますが、現在の一般的な説としては中大兄皇子が兄とされています。
額田王と天智天皇の関係
額田王は大海人皇子に嫁いで娘とともに暮らしていましたが、その才能(当代一の歌人と言われた)に惚れ込んだ中大兄皇子が、大海人皇子に「自分の娘を二人(太田皇女と鵜野讃良皇女)嫁がせるので、額田王をくれ」と要求しました。
自分の目障りとなる者は容赦なく殺してきた兄の恐ろしさを知っている大海人皇子は、自分の政治的立場も含めて危険な目に合わないように、この兄の要求を承諾しました。
こうして額田王は大海人皇子の下を去り、中大兄皇子の後宮に入ることとなったのです。
中大兄皇子の歌
「香具山は 畝傍を愛(お)しと 耳成と相争ひき 神代より かくにあるらし 古も しかにあれこそ うつせみも 妻を 争ふらしき」
この歌の意味は、「香具山は 畝傍山がいとしくて 耳成山と戦った 古代からそうだった 昔からそうだったのだから 現代でも 妻をうばいあう」ということです。
まさに自分のことを表している(言い訳している?)歌ですね。
額田王と天武天皇の歌
天智天皇の治世中、天皇や周りの人物が蒲生野に遊猟に出かけた際に詠まれた歌があります。
額田王「茜さす 紫野ゆき 標野ゆき 野守は見ずや 君が袖振る(茜色に輝く紫野を、標野を行き来しているあなた 野守は見ていないでしょうか そんなに袖を振ってそんなに私に合図なさっているのを)」
大海人皇子「紫草の 匂える妹(いも)を 憎くあらば 人妻ゆえに 我恋いめやも(紫に美しく輝くあなたを嫌なわけがあれば 愛してはならない人妻のあなたになぜこんなにも恋い焦がれようか)」
和歌に三角関係がみられる!?
この歌は遊猟の後の酒宴の席で詠まれた歌で、ただの余興の一つであるとする説もありますが、この歌を根拠にして額田王は天智天皇の下に行きながらも、まだ大海人皇子と心を通わせている、三角関係であるというように言われています。
額田王が天智天皇に嫁いだという根拠も実際にはないそうですが、この歌で(元は夫であったはずの)大海人皇子が「人妻ゆえに」と歌っていることから、二人はすでに分かれており、額田王は他の人に嫁いだということがわかります。
そんな人妻に手を振り、恋歌を送る大海人皇子はとても(よく言えば)おおらかな人物だったのですね。