加藤清正の井戸の効果 真相はいかに!?
明治神宮に「清正井」と呼ばれるパワースポットがあります。
伝えるところによると、加藤清正が自ら堀った井戸だとか、訪れると金運が良くなるとか…。
実際はどうなのでしょう?
清正が掘った?
清正は土木工事や建築に優れていたようです。ですので、井戸を掘ったとしても可笑しくはないですし、「清正井」は枯れることのないように複雑な仕掛けがしてあります。
建築関係に優れていた清正だからこそ考えられた仕掛けかもしれません。しかし、伝説だけで清正の掘った井戸だと断定できるのでしょうか?
清正の息子である加藤忠広は明治神宮のあたりに住んでいましたが、果たして清正自身はこの地に住んでいたのか。
推測ですが、清正はここには住んでいません。何故なら清正の出身地は尾張ですし、仕えていた豊臣秀吉は大阪城の主です。
更に領土は肥後で、熊本城で亡くなっています。秀吉に仕えていたころ清正がどこに住んでいたかは分かりませんが、肥後領主になったのは大抜擢ですので、おそらく秀吉の傍に住んでいたものと思われます。
秀吉の没後も彼は熊本城にいましたし、江戸幕府が出来ても江戸には住まなかったと推察されます。
ですので、清正は明治神宮辺りには住んでいなかった。明治神宮あたりに住んだのは、息子の忠弘からだろうと考えられます。
つまり清正が掘ったとされる「清正井」は、清正の作ではないことになりますね。
パワースポットとして
以上のように清正が掘ったのではないと思われる井戸ですが、この井戸はいつからあったのか…定かではありません。ただ「清正井」と呼ばれるのですから、少なくとも加藤家がその敷地に住んでいた間に掘られたのでしょう。
パワースポットとして「清正井」が有名になったのは、2010年ごろのようです。
正確には2009年末にTV番組で手相見の方が「「清正井」はパワースポットだ」と発言され、それからパワースポットとして有名になりました。
その手相見の方は芸能人の利用者に「清正井」を宣伝していたそうです。先に一般より芸能人の間で有名だったんですね。
ではなぜパワースポットかと言いますと、明治神宮は富士山から出た”気”が流れる”龍脈”上に存在し、自然の湧水である「清正井」には特に”気”が集まっている…ということだそうです。
風水に基づく思想のようですが、でも風水的には水場は悪い気が溜まりやすいはずですが…?
現在では
そして現在ですが、ここは”負のパワースポット”として有名になっています。通常のパワースポットは行くと御利益があると思うのですが、こちらは行くと不運な目に逢うようです。
「清正井」がパワースポットとして有名になったころ、同時に「清正井」の写真を携帯の待ち受けにすると金運が舞い込む…という噂も流れていました。
ところが、現在は”気”や”霊感”のある人だと、近づきたくない場所となってしまったようです。
いわく、TVで有名になって以来訪れる人が殺到し、その人々の”欲望の気”が集まって、本来の良い”気”がなくなってしまったようなのです。
あるいは、欲望に負けてしまったのかも知れませんが。よって、今は人の欲望で悪い”気”が溜まり、マイナスのパワースポットとなってしまっているようです。
パワースポットとは
もし「清正井」本来の”気”があったのだとしたら、それを失くしてしまうほどの人間の”欲望”というものは恐ろしいですね。
パワースポットというのは清浄な”聖域”のような場所であるべきだと考えますので、そこを無駄に荒らしてしまうのはどうなのでしょうか?
御利益がある無しは関係なく、心から落ち着ける場所…そういう場所が”パワースポット”ではないでしょうか。
有名でなくても、自分だけの”パワースポット”を持つべきなのかも知れません。