加藤清正の使用した家紋とその由来とは?
加藤清正というと、甲冑につけられたシンプルな家紋が有名ですが、その家紋はなんなのでしょう?
また使っていた家紋はそれだけだったのでしょうか?
簡単にまとめてみました。
蛇の目紋
清正が甲冑に使用していたのは、黒い丸をかいただけのいわゆる「蛇の目紋」です。蛇の目に似ているから「蛇の目紋」と言いますが、何とも単純ですね。
実はこの「蛇の目紋」、古くは「弦巻紋」と称されており、腰につける弓の弦をまきつける皮や籐製の道具を図案化したものと言われています。そういう由来だと、ぐっと武家らしく感じますね。この「弦巻」が蛇の目に似ているから「蛇の目」とも言うようです。武具が由来に入るか入らないかだけで、差を感じます…。
ちなみに蛇に由来を求めるのは、古来蛇は神秘的なものと考えられていたからです。
蛇は主に水の象徴とされ、水神として崇められていました。白蛇を神聖視する場所もありますよね。
現在では水神=龍のイメージですが、これは中国の五行説が浸透してから水=青龍というイメージが定着したがゆえのことです。
日本独自では、蛇を水神としていたんですよ。蛇と龍が混合してしまったんですね。
現在では神社などに行くと手水場に龍の像が置かれていることがありますが、日本古来の考えですと、あれは蛇であるべきかもしれません。
更に余談ですが、目を用いるのは目に特別な力があると思われるからでしょう。海外になりますが、古代エジプトのオシリスの目しかり、キリスト教の邪視しかり…。
桔梗紋
清正が用いていたのは、「蛇の目紋」だけではありませんでした。
そのまま桔梗に由来を求める「桔梗紋」も使用していました。桔梗紋を用いるようになったのは、1588年に清正が熊本領主になるにあたって、秀吉が讃岐の尾藤知定の武具や家具を清正に与えたからです。
この尾藤知定の家紋が「桔梗紋」でした。清正は秀吉より賜ったものをそのまま使用したんですね。ですから、戦場で使用する甲冑には清正の家紋である蛇の目紋を、家具などは桔梗紋を用いていたと伝えられます。
また、旧尾藤家の家臣も300人ほど迎え入れたようですから、彼らに対する配慮もあったのかもしれません。
以前仕えていた尾藤の家紋をそのまま用いるのは、尾藤家の人間からの反乱を防ぐため…とも考えられますが、秀吉に対する遠慮と家臣の反発を防ぐため。それとも清正がそういう寛容な人柄だったのでしょうか?
使ったのは
清正がいつから「蛇の目紋」を使用したのかは不明ですが、「桔梗紋」に関しては先述の通り、1588年のことです。幼いころより秀吉に仕えていた清正だから、他の武将の家具を秀吉から与えられたのでしょうね。
そもそも家紋とは家や血統を象徴する記号であり、名字のもとでもあります。家紋の発祥は古く、平安時代にまで遡ります。「蛇の目」という名称では戦国時代に登場していますが、室町時代に「弦巻」という図案で提示されているのが最も古い記録です。
シンボル
家紋というのはその家を表すシンボルなので、昔は図案を使ったもの勝ちのようなものでしょうね。
今はシンボルというと地図記号等を連想しますが、シンボルとして家紋を思い描く方は少ないのではないでしょうか?
自分の家の家紋を調べてみるのも楽しいでしょうね。思いがけない有名人が先祖かもしれませんよ。