桜田門外の変 その後の日本史への影響
桜田門というのは江戸城の内堀に造られた門の一つで、この正面にちょうど警視庁の庁舎があることから、警視庁の隠語となっているそうです。
この場所で幕末、歴史を大きく動かす事件が起こります。時の大老・井伊直弼の暗殺、世に言う桜田門外の変です。
なぜ桜田門外の変は起こったのでしょうか。その後どのような影響が出たのでしょうか。
桜田門外の変の原因
桜田門外の変の犯人は水戸藩の脱藩士17名と薩摩藩士1名ということがわかっています。
なぜ井伊直弼は水戸藩の浪士に暗殺されるほど恨まれてしまうのでしょうか。
その原因は安政の大獄と考えられます。
安政の大獄とは井伊直弼が自らの政策に反対する人たちを弾圧した事件です。自らの政策というのは、日米修好通商条約の無勅許による調印と家定の将軍継嗣問題の二つのことです。
この二つに反対したのが前水戸藩主・徳川斉昭でした。
井伊直弼ら南紀派が慶福(のちの家茂)を推していたのに対し、斉昭は一橋派として実子である慶喜を推していました。
正確には、こうした将軍継嗣問題で対立していたため、斉昭も正直無勅許による条約調印はやむ負えないと考えていましたが、「不敵」として批判したというものです。
直弼が条約調印を断行、家茂を将軍継嗣に決定したことに対し、斉昭は不時登城により反抗の意を示します。
しかし、直弼はこれを「御政道を乱した」として隠居謹慎に処したのです。これを機に直弼は反対する人々をことごとく謹慎や流罪、死罪などに処していきました。
この安政の大獄が水戸藩士たちを決起させることとなったものと考えられます。
実行者たちの目的
桜田門外の変の実行犯は全部で18名おり、「桜田十八烈士」と呼ばれています。そのほかにも襲撃に関与したとして13名の名前が挙げられています。
襲撃に参加した16名のうち、闘死1名、自刃4名、自首8名となっています。自首した8名はその後斬首刑に処せられました。
生き残った3名は戦闘不参加で襲撃の指揮を執っていた関鉄之介らと共に京に向かいました。
なぜ彼らは京に向かったのでしょうか。そこに桜田門外の変の目的があります。
この桜田門外の変は薩摩藩兵の上京計画とともに計画されていました。
桜田門外の変で大老を襲撃・暗殺し、それと同時期に薩摩藩主・島津斉彬が藩兵を率いて上京、天皇の勅許を得て幕政を是正しようと考えたのです。
しかし、思いもかけないことがこの計画を破たんさせてしまいます。島津斉彬が上京を目前にして死去してしまったのです。理由はコレラとも暗殺とも言われています。
直弼の死の影響
この直弼の死が尊王攘夷運動の激化の始まりとされ、この7カ月後大政奉還により江戸幕府は280年続いた歴史に幕を閉じることになりました。
そして、直弼の死は彦根藩にも大きな打撃を与えたのです。
直弼の死後、彦根藩は石高を35万石から25万石に減らされ、京都守護職を解任されてしまいます。その後を継いだのが会津藩主・松平容保、そしてその下に配属されたのが新撰組でした。
第二次長州征伐でこそ幕府方で出陣するものの、鳥羽・伏見の戦いでは翻って新政府軍につき、倒幕の姿勢をしめしています。元新撰組局長・近藤勇を逮捕するなどの功績で賞典禄2万石を与えられました。
明治維新後の華族令では旧藩主・井伊直憲は伯爵となりましたが、井伊家周辺では1級上の「侯爵」となるだろうとの思惑があったようです。
結果伯爵となったその背景には「安政の大獄の恨み」があるのだという説がまことしやかに噂されたといいます。実際は基準通りで「安政の大獄の恨み」でも何でもなかったわけですが、直弼の行った安政の大獄が彦根藩にとって長い間後ろめたいものとしてとらえられていたことがわかります。

By: MIKI Yoshihito
その影響は現代にも
彦根と水戸の和解は、桜田門外の変から109年後の1968年、戦後23年になってからでした。親善都市提携が結ばれたのです。
その時の市長は井伊家当主で直弼の曾孫・井伊直愛でした。さらに仲介に入ったのは幕末期水戸の天狗党が彦根藩士から処刑された敦賀市でした。
さらに2013年には、彦根市長選に直弼暗殺の実行犯の一人である有村次左衛門の弟の子孫が立候補した際には、候補者の一人が出馬を認めないとしてビラを配布させたりもしたそうです。
直系の子孫ならまだしも弟の子孫ですから、本人としてはかなりのとばっちりです。
こうしたことを見ていくと、歴史上での恨みを清算し前に進むためには互いの歩み寄りが不可欠であることがわかります。そしてそれを実行する人物はよりその人に近い人物がいいような気がします。
さらに何より、問題は所属でも子孫でもなく、本人たちの問題であるということを私たちが理解することが大事なのではないでしょうか。
過去の憎しみを今にまで持ち出し、前に進むことを拒むことは何とも無意味なことであると私は思っています。