尼子の忠臣:山中鹿介のお墓はどこに? 悲運の最期を弔う場所に迫る!

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14世紀末から出雲を支配し、一時は山陰・山陽の11国を従えた尼子氏。その一族に連なる家系の出身で、主家尼子再興に短い生涯を捧げた悲運の戦国武将が山中鹿介です。

鹿介の逸話は前にもご紹介させて頂きましたが、今回はその無念の最期と墓所についてです。

第3次尼子再興運動、上月城の戦いまで

山中鹿介の尼子再興運動は1569年~1571年の第1次、1573年~76年の第2次といずれも善戦するものの、周囲の状況などに左右されて結局は失敗に終わります。

そこで3度目に鹿介は、当時天下統一を目指して破竹の勢いだった織田軍を後ろ盾につけることを思いつきました。

大望を抱いた山中鹿介は京に上り、織田信長との対面を果たします。天正5年(1577年)には織田信長の嫡男:信忠に従い、織田家に反逆を企てた松永久秀との攻防・片岡城の戦いと信貴山城の戦いに参加。大きな武功を立てています。全ては主家尼子再興の大願を叶えるためです。

鹿介はその後すぐまた、織田軍の武将:羽柴秀吉の播磨平定に従軍し、秀吉の作戦に従い播磨国西方の上月城に主君:尼子勝久とともに入城します。上月城は尼子の宿敵である毛利氏の播磨での拠点であったため、勝久・鹿介主従にとってこの入城は毛利からの出雲奪還への足がかりとも思えました。

しかし、羽柴秀吉の播磨平定は順調に進まず苦戦します。尾張・美濃を拠点とする織田勢の西国侵攻に危機感を抱いた毛利氏が、抵抗する播磨の土豪勢力を強力に援助したため、地元の頑強な抵抗が続いたからです。

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上月城の籠城戦と阿井の渡しでの謀殺

1578年(天正6年)4月、秀吉の苦戦を好機と捉え、上月城奪還に動いた毛利軍は、主力の吉川元春・小早川隆景(共に毛利元就の子息で毛利家当主輝元の叔父)率いる2万余りで城を包囲します。対する尼子勝久の手勢はせいぜい3,000程度と言われ、7倍近くも兵力差がありました。

それでも鹿介はじめ籠城した尼子勢は粘り強く抗戦しましたが、同年7月1日、援軍の望みが絶たれ兵糧も尽きた月城は開城・降服し、城主の尼子勝久、及び尼子一族の武将3人が兵士の命とひきかえに自刃します。

山中鹿介は生け捕られて人質となり、備中松山城(岡山県高梁市)にいた毛利家総大将、毛利輝元の許へと送られました。

ですが、彼が生きている限り尼子残党の抵抗は続くと思われたのでしょうか。松山城へ向かう途中、鹿介は高梁川の渡し場・阿井の渡しで暗殺されてしまうのです。享年は39歳とも34歳とも言われ、短く燃え尽きた生涯でした。

山中鹿介の墓所 その1- 阿井の渡し(高梁川岸)

悲運の武将、山中鹿介幸盛を弔った墓所は現在何箇所かあります。その1つは鹿介終焉の地、阿井の渡しがあった場所です。岡山県高梁市落合町阿部にあり、高梁市の重要文化財に指定されています。

付近には地元の曹洞宗観泉寺住職だった珊牛和尚という人が、亡骸を引き取り供養して葬ったと言われる胴塚もあります。

山中鹿介の墓所 その2- 観泉寺境内

その1で紹介した観泉寺には山中鹿介の位牌が供養のため安置されています。

また、明治35年には当時の住職によって新たに墓石も建てられました。(所在地:岡山県高梁市落合町阿部)

山中鹿介の墓所 その3- 京都の大徳寺(玉林院)

鹿介の息子(一説には孫とも)は、実は江戸期に大坂で商人になって成功した鴻池新六直文です。

京都の大徳寺には豪商・鴻池家が江戸時代に建てた鹿介の墓があります。(所在地:京都府京都市北区紫野大徳寺町)

山中鹿介の墓所 その4- 首塚2つ(広島県)

鹿介が暗殺された後、その首は毛利輝元と当時鞆の浦にいた足利義昭(室町幕府将軍)の許に、検分のため送られたと言われます。

そのため鹿介の首を供養した首塚が広島県福山市鞆の浦の静観寺山門前に存在します。

また、鹿介を惜しんだ尼子残党の手によってその場所から首が密かに運び去られたという言い伝えも残っており、彼らが葬りなおしたという広島市庄原市東城町の徳雲寺境内にも、鹿介の首塚があります。

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まとめ

鹿介のお墓として主なものをここに列挙しましたが、まだ他にも彼を弔う墓所や供養塔が京都や山陰・山陽地方を中心として各地に存在しています。

現代人の目から見れば不器用な生き方とも思えますが、魅力的な逸話も多く残っているのが山中鹿介です。やはり、たくさんの人から愛され続けている戦国武将の1人ですね。

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ナカガワ マスミ

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投稿者プロフィール

戦国時代から昭和史まで、歴史には幅広く興味を持ち、色々調べ出したら止まりません。
合戦の話も好きですが、文化史が特に好き。そういう意味では平安中~後期も愛していますね。
皆様にも是非「歴史って面白いんだ!」と思って頂きたいと思いながら、記事を書いています。応援よろしくお願いします。

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