佐々成政の埋蔵金伝説とは?
1963年、地中から江戸時代の天保小判などが大量に発見されました。その額時価にして6000万円といわれ、過去最大の埋蔵金発見となったのです。
「埋蔵金」といえば、一攫千金の夢と歴史ロマンの象徴のようですが、現在もまだ発見されていない埋蔵金はたくさんあります。
徳川埋蔵金、明智光秀埋蔵金、源義経埋蔵金、武田信玄埋蔵金、豊臣秀吉埋蔵金。。。
こうしたなか「さらさら越え」を成功させたことでも知られる佐々成政の埋蔵金もどこかに眠っているといわれています。
その真相はどうなのでしょうか?
埋蔵金伝説の内容は?
織田家再興を掲げ、徳川家康に再挙の説得に向かうべく、真冬の立山を越えた、いわゆる「さらさら越え」を成功させた佐々成政でしたが、その努力むなしく説得は失敗に終わってしまいます。
翌年、成政は秀吉の大軍に攻められ、降伏することになるのですが、その際、落城寸前の城内から密かに小判百万両を持ち出し、立山山中に隠したといわれているのです。
その黄金には笹の葉模様が推されており、49個の壺に入っているとか。
また、「さらさら越え」の途中、峠越えの妨げになるものを雪の中に埋めたといわれていて、その中に軍用金も含まれていたともいわれています。
どちらにしろ、軍資金確保のため北陸の金鉱開発に力を注ぎ、莫大な黄金を手に入れたといわれる成政の埋蔵金は立山の山中にある!と考えられ、現在も一攫千金を夢見る歴史ハンターたちが埋蔵金探しにやってきているのだそうです。
埋蔵金を示す暗号!?
その場所を示す「暗号」と考えられているのが次の一節です。
朝日さす 夕日輝く 鍬崎に 七つむすび 七むすび 黄金いっぱいに光かがやく
これは富山県富山市有峰あたりの鍬崎山の里歌で、「黄金いっぱい」というところから佐々成政の埋蔵金のありかを示しているのではないかとまことしやかに噂されてきたものです。
ところが調べてみると、「朝日さす」というフレーズの歌というのは他にもいくつかあり、しかもそれらは埋蔵金伝説と結び付けられているようなのです。
たとえば、
「朝日さす 夕日輝くところ 夏あつからず冬さむからず 三足半なか」(長野県信濃町の熊坂長範の財宝伝説)
「朝日さす 夕日かがやく 雀のみよとりのところ 黄金千杯 朱千杯あり」(群馬県桐生市桐生氏の埋蔵金伝説)
といったものがそれです。
確かにどちらも暗号のように見えますし、二番目の桐生市のものなんかは成政のそれと同じく「黄金」という言葉がはっきりと出てきています。
こうした「朝日さす夕日かがやく」というフレーズは土地を褒める「常套句」であり、黄金とは関係ないという説があり、成政のそれも特別深い意味のこめられたものではないのかもしれません。
しかし、「七つむすび 七むすび」というところは、7×7=49で、49個の黄金の壺を連想させますし、歌に出てくる「鍬崎」は成政が「さらさら越え」をした立山連峰の山の一つだし、とついつい期待のまなざしを向けてしまうのも無理のないことではないでしょうか。
埋蔵金で町おこし!
埋蔵金の有無はわかりませんが、富山県富山市大山町では毎年7月下旬ごろ「おおやま佐々成政戦国時代祭り」が開催されています。
メインイベントはその名も「佐々成政埋蔵金探し」です。
大人からちびっこまで参加できるこの催しでは、最高額5万円がゲットできるそうです。
真夏の日差しの中探す埋蔵金と厳冬の中隠された佐々成政の埋蔵金とは雰囲気も金額も大きく違うでしょうが、その影響力故に死後真偽不明の悪評が出回った成政が、こうして市民に愛されるようになったことは大変喜ばしいことと思います。