榊原康政の旗印「無」にこめられた意味
戦国時代の資料などを見ていると、武将たちの周りに何本もの旗が立てられているのがわかると思います。
色が違ったり、マークのようなものがついていたり、字が書いてあったりと様々です。
これって何を意味しているのでしょうか。どんな目的で、武将たちは旗を掲げていたのでしょうか。
その中でも特に個性的な旗印を持つ、榊原康政のものについて見ていきます。
榊原康政が「無」を隊旗にしたわけ
榊原康政は徳川家康に仕えた重臣で、徳川四天王や徳川十六神将の1人に数えられる勇将です。
数々の戦いで輝かしい武功を挙げ、時には関ヶ原の戦いに遅参した秀忠と、激怒した家康との間を取り持ったりするなど、古参の家臣ならではの役割を果たしていました。
彼の隊旗には「無」の一文字が使われていました。何故、彼がこの字を使用していたか、明確な理由は実はまだわかっていません。
しかし、無欲無心の精神で家康のために戦うという信念を示しているとか、無名の一武将でいたいという康政の志を表しているとか、いくつかの説が唱えられています。
戦国時代の隊旗の意味
戦国時代、戦場において武将が所在を示すために、馬側や本陣で掲げたものを馬印(うまじるし)と言います。これの前身が旗印(はたじるし)でした。
隊旗は馬印や旗印と同義と言えるでしょう。また、武士が出世すると、自身の目印として使っていた旗指物(はたさしもの)をそのまま馬印として使用することもありました。
隊旗は、初期のうちは敵味方の識別が大きな目的でした。
しかし、戦国時代で合戦が多く行われるようになると、論功行賞のため諸将には自分のアピールをする必要性が生じます。
軍目付という武功を判定する者がいたため、その目にも留まりやすいようにと、自分の隊旗を持つ必要があったわけです。
部隊の中には「旗組」という旗持ち専門の部隊がいました。戦闘には参加しませんが、とても名誉な役割でした。
隊旗のデザイン、自分で決めてOK?
自身のアピールは、ひいては自身の出世につながるため、武将たちはこぞって自分のオリジナルの隊旗を作り戦場に臨みました。
隊旗のデザインは様々で、家紋を用いたもの、文字、飾りをつけたもの、色の違いなどで個性を出したのです。
例えば、武田信玄の「風林火山」や、上杉謙信の「毘」などは有名ですよね。真田氏の六文銭も個性的です。
このように、隊旗を見ただけで誰なのかわかるようにすることが重要だったわけです。
まとめ
康政のように、強い上に、「無」の旗印がずらりと並んでいる様はとても不気味で威圧感が漂いますね。
やはり、旗印を見ただけで相手を威圧できるのは大きなメリットだったのだと思います。
多くの敵を倒すことはもちろん、目立ってなんぼの世界だったのでしょう。
イケてるデザインも考えなくてはならないのだから、武将も大変です。