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幕末を震撼させた岡田以蔵の愛刀とは!?

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幕末の天誅騒ぎで名を挙げた暗殺者岡田以蔵は、風雲児坂本龍馬と幼馴染だった事でも有名です。土佐勤皇党の首領、武市瑞山の指示の元、暗殺を繰り返した岡田以蔵とはどういう人物だったのでしょうか?

岡田以蔵は本当にネクラな暗殺者だったのか?

どのような映画やドラマ、小説でも、岡田以蔵といえば、極貧の中で生まれ無知で無教養、ただ、ボスである武市瑞山に気に入られる為に暗殺を繰り返すそんな暗いダークヒーローとして岡田は描かれます。しかし、それは、最初に岡田を主人公にした作品を描いた真山青果の小説人斬り以蔵(1958年)に単を発したイメージだと言います。

真山は、当時流行のマルクス主義で、岡田を差別され利用される駒として描きましたが実際の岡田は、そこまで極貧の家庭の産まれではなく、通常の教育は受けていたとされます。しかし真山のイメージは、司馬遼太郎にも引き継がれ、岡田と言えば、ダークヒーローのイメージになっています。

岡田以蔵の愛刀は、龍馬から借りたもの?

岡田以蔵は、土佐の守旧派の頭領、吉田東洋を暗殺した辺りから、人斬りの世界に踏み込んでいきます。しかし、それは剣のみに限らず、絞殺するような方法も用いた格闘術も込みの暗殺術でした。そんな岡田の刀で有名なのは、坂本龍馬に借りた肥前忠広だと伝わっています。肥前忠広は龍馬が脱藩する際に、姉が餞別に贈った名刀だそうです。

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どうして岡田以蔵は評判が悪いのか?

岡田以蔵は、暗殺者としてのダークサイドぶりに加えて、逮捕投獄された後の拷問による口の軽さが後の評判に影響しています。第一次長州征伐によって、攘夷の急先鋒だった長州藩が没落すると土佐藩でも、守旧派が盛り返し、武市瑞山等、土佐勤皇党の一斉弾圧が開始され、以蔵も捕えられ壮絶な拷問に掛けられます。

逮捕された土佐勤皇党の志士は、凄惨な拷問に耐えて口を割らなかったのですが、以蔵は序盤で口を割り、それにより、逮捕されなかった志士まで捕まり斬首される結果を招いてしまいました。

以蔵が拷問で口を割った理由としては、師として仰いでいた武市が信じられなくなったという説や、暗殺者として恨みを買っていた以蔵の拷問が、他の志士より凄まじかったという説もあります。

明治維新後も顕彰されない以蔵

以蔵の自白により、武市の親族を含め、多くの志士に類が及んだ事は、岡田以蔵の名誉に暗い影を落としました。

高知県の護国神社にある、南海忠烈碑銘には、守旧派に逮捕され、死没した土佐勤皇党のメンバーの名前が刻まれていますが、その中に以蔵の名前はありません。しかし、以蔵の人物評はNHK大河ドラマなどで変わり近年は慰霊蔡が開かれるなど、新しい見方も出てきてはいます。

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