井伊直孝と招き猫の不思議な関係 ひこにゃん誕生の秘密もココにあった!
近江彦根藩第2代藩主:井伊直孝は、徳川秀忠・家光・家綱の3代に仕えた江戸幕府の重鎮です。
父である直政にひけを取らない勇猛さと、幕政を主導した手腕を併せ持った人物でした。
そんな超大物の譜代大名である彼が、どうして招き猫と関係があるのでしょうか?
正直イメージが合わないような気がしなくもないのですが、ぜひこの関係を明らかにしてみたいと思います。
直孝と豪徳寺の招き猫伝説
直孝と招き猫の関わりについては、有名なエピソードがあります。
鷹狩の帰りに、直孝があるさびれた寺の前を通りかかると、手招きをしている猫がいたので、それにつられて寺の中に入ってみました。
すると雷雨になり、雨宿りのために和尚と話をしていたところ、意気投合し仲良くなったのだそうです。
その後、直孝の寄進によって寺は見事に改築され、井伊家の菩提寺となりました。直孝の法名「久昌院殿豪徳天英居士」にちなみ、寺名を「豪徳寺」としたそうです。
多少の違いが見られる説もあります。
鷹狩の帰りの直孝が雨に降られ、木の下で雨宿りをしていたところ猫に手招きされたので近寄ってみると、木に雷が落ちました。直孝は、猫のおかげで難を逃れたと感じ、ここを菩提寺としたという話です。
豪徳寺の招き猫伝説が「招き猫=商売繁盛」きっかけ?
猫のおかげで、豪徳寺は井伊家の菩提寺にまでなることができました。和尚は猫の手招きが寺を栄えさせてくれたと感謝し、「招猫堂」を建てて猫を祀りました。
一般的な招き猫は、金運を表す右手か対人運を示す左手を挙げており、小判を首につけていたりして、商売繁盛のシンボルだとされています。
しかし、豪徳寺に奉納されている招き猫たちは、そうではありません。武士にとって左手は不浄であるという考えの元、全部が右手を挙げています。
そして、小判は持っていません。これは、招き猫はチャンスを与えてくれるが、結果(=小判)までがついてくるわけではなくて、それは本人の頑張り次第であるということを意味しているのです。
そのため、豪徳寺の招き猫たちは商売繁盛のシンボルではないのですね。
ひこにゃんとの関係性
彦根市の公式ゆるキャラ:ひこにゃんは、見てのとおりとても可愛らしい白猫のキャラクターです。
この大人気キャラクターのひこにゃんは、直孝が出会った招き猫(白猫だったそうです)がモデルになっていると、公式サイトでも述べられており、先述の伝説にちなんで作られたものです。
そして、言わずもがなひこにゃんが被っている赤い兜は、井伊家の軍団の赤備え(鎧兜を朱塗りにすること)が由来だそうですよ。
まとめ
猫が顔を洗うしぐさが手招きに見えたのではないかとも言われていたりしますが、猫が直孝を引き寄せたことは間違いないようですね。
豪徳寺の招猫堂には、至る所に招き猫が奉納されています。あまりの多さに、地面から生えているみたいに見えますよ。
もし猫に手招きされるようなことがあったら、迷わず近寄ってみることにした方が良いですね。