天草四朗にまつわる伝説
1638年に起きた、島原の乱。その主導者とされるのは、当時16歳ほどの天草四朗という青年でした。
彼が年若くして主導者とされたのには、数々の伝説があるからなのですが…。
その伝説とは何なのか、迫ってみます。
天草四朗の伝説
天草四朗は救世主と同一視されたようです。それというのも、島原の乱が起こる24年前に、江戸幕府の命令によって日本を追われた神父が「今から25年目に、16歳になる美しい神童が現れる」その神童が現れる時は世の中に天変地異が起きている…というような予言を残して去ります。
神父が去って25年目の1638年、肥後では阿蘇山が大噴火して連日硫黄混じりの灰の雨が降り、気候不順によって朝焼けや夕焼けが異常なほど鮮やかで空は真っ赤になり、野山では季節外れの花が咲くなどという、当時からすれば天変地異に匹敵するだろう出来事が起こります。
さらに当時の島原城主の松倉勝家は年貢を厳しく取り立て、あらゆるものに税金をかける悪政を布いていました。これらのことからキリシタンたちは終末説に囚われ、もう世界は終わると思っていたようです。
そこに登場したのが16歳の青年、天草四朗です。彼はキリスト教で言うところの「救世主(メシア)」として登場したのです。彼はその神父の予言によって崇められたといっても良いのではないでしょうか。
四朗が起こしたとされる数々の奇跡
- 飛んでいるハトを手招いて自分の手の中に卵を産ませ、その卵からキリスト教の経文を取りだした。
- 竹の枝に止まっている雀に少しも気づかれず、枝を折ってみせた。
- 湯島の農夫が四朗の元に狂女を連れてきて治療を乞い、四朗が女の頭に手をのせると、女はたちまち正気を取り戻した。
- 天草から湯島まで海の上を渡って歩いた。
- 四朗に害を加えようとした役人が、途端に口がきけなくなったり、足が伸びてしまった。2人が許しを請うと、四朗が祈った途端に治った。
- 盲目の少女に触れると視力が戻った。
なんだかキリスト教で聞き覚えのある奇跡ばかりのような気もしますが…。「救世主」なので、そう言った奇跡が多いのかも知れません。
一番の奇跡は神父の予言通りの人物が、その時に天草に登場したことかもしれませんね。
最後の奇跡
原城で死亡したとされる四朗ですが、その時にも伝説が残されています。
原城落城のとき、四朗は持っていた竜玉を軍船に投げつけると突然暴風雨が吹き荒れ、2頭の大竜が現れた。
竜は海を割り、軍船は水中に巻きあげられた後、海面に叩きつけられる。同時に四朗の立っていた場所から火が燃え上がり、城は焼け落ちた。
それを見届けた2頭の大竜は海を血でそめながら池島の2つの穴にそれぞれ入って行った。その2頭の大竜は、四朗が姿を変えたものだ――。
ところで、四朗は落城の際に自害したとも、幕府に連れて行かれて別の場所で死刑にされたとも言われています。
キリスト教では自害を禁じられていますので、幕府に連れて行かれたのかも知れません。
ところで、竜となった四朗が穴に潜ったとされる池島では、旱魃になったとき四朗に雨乞いをすれば黒雲が降りてきて必ず雨が降ると伝えられているようです。
竜は水神と考えられていますので、四朗は水神となって農民を守っているのかも知れません。農民に慕われていた四朗だからこそ、このような伝説が生まれたのでしょう。
実際に奇跡を起こしたにせよ、錯覚や思い込みであったにせよ…四朗は当時の人々からすると「救世主」に他ならなかったのでしょう。