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宣教師ザビエルのミイラが実は公開されていた!?
1549年、日本にキリスト教が伝えられました。
伝えたのはイエズス会の宣教師・フランシスコ・ザビエル。
そのザビエルの遺体はミイラ化して現在も保管されているのです。
なぜ、ザビエルはミイラになったのでしょうか。また、どこでザビエルのミイラに会うことができるのでしょうか。
ミイラ化させるつもりはなかった?
1549年から日本で布教を行っていたザビエルは、日本で布教するためには中国での布教が不可欠と考えるようになります。
ザビエルは1552年9月に上川島に到着しましたが、心身の衰弱が原因で発病。46歳で死去しました。
その後遺体は、石灰を詰めた棺に納められ、海岸に埋葬されました。
上川島は香港の西に位置し、ザビエルが亡くなった9月はかなり暑かったと考えられます。そんな海岸に、しかも乾燥した石灰に覆われる形で納棺されたのがミイラ化の原因でしょう。
しかし、実際にはミイラ化は意図したことではなく、そのままではインドのゴアに運べないといわれてしまったため、遺体の腐敗を早めるために石灰を入れたといわれています。
しかし、その遺体はいつまでも腐らなかったことから、そのことを「奇跡」としているようですが、奇跡なんかではなく当然のことでしょう。
10年に一度の一般公開
1553年、ザビエルの遺体はマラッカに移送、1554年から聖パウロ聖堂で一般に公開されました。
その際、女性が右足の指2本を噛み切って逃走したと言われていることから、この時にはザビエルの遺体はすでにミイラの状態にあったものと考えられます。
現在ザビエルの遺体は通常、インドのゴアにある世界遺産のボン・ジェズ教会に安置され、10年に1度棺が開帳され、一般公開されています。
直近では2014年ですので、次は2024年を待たなければなりません。
世界各地に分散したザビエルの遺体
ザビエルの遺体はいくつかに分散しています。
- 右腕下膊:イタリア・ローマのジェズ教会。切断した際に死後50年以上たっていたにも関わらず鮮血がほとばしったということでも知られる「奇跡」の右腕です。1949年と1999年に日本でも展示されました。
- 右足指:スペイン・ザビエル城(ハビエル城とも)。初めての公開時に女性により噛み切られた指の一つ。女性の死後聖パウロ聖堂に返され、その一つがザビエル城に移されました。
- 右腕上膊:中国・マカオの聖ヨセフ教会。
- 耳・毛:ポルトガル・リスボン
- 歯:ポルトガル・ポルト
また、内臓はローマに送られた後、細かく切断され、ヨーロッパの教会や信者に配られたそうです。
仏教の創始者である釈迦も死後に骨が分骨され、世界各地に五重塔のような仏舎利が建てられていますが、ザビエルの遺体もキリスト教において釈迦の骨のような存在だったのでしょうか。
日本にもザビエルの遺体の一部が!
日本にもザビエルの遺体の一部がイエズス会から寄贈されています。
一つは、胸骨の一部を寄贈された東京のカテドラル聖マリア大聖堂です。文京区にある一見教会には見えない近代建築がそれです。
聖堂内の一角にザビエルの胸像があり、その中に胸骨の一部が納められているそうです。
二つ目は、皮膚の一部を寄贈された大分のトラピスト修道院です。男子修道院でクッキーが有名なところです。
トラピスト修道院がある日出町がザビエルに関するイベントに力を入れていることから寄贈に至ったようです。
修道院の展示室に額に入れて保管されているそうですが、そのサイズは5mm四方と極めて小さなもの。
しかしながら、ザビエルの遺体に接した人は苦しみから解放されるとも言われており、10年に一度インドにまで行くのは難しそうですが、東京や大分にあるのならぜひ一度お目にかかりたいものです。