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桓武天皇が平氏(平家)の祖先? その経緯に迫る!

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第50代天皇で、平安京に遷都した人物として知られる桓武天皇。

彼の子孫が平清盛などで有名な平氏(平家)となったとされていますが、どうして天皇の子孫が武士になったのでしょうか?

臣籍降下された子孫

桓武天皇の平安時代になると安定した皇位継承のために、天皇は多くの皇子をもうけることとされていました。しかし、実際に皇位を継承できる人物は当然のことながら限られてくるため、皇位継承の道を閉ざされた皇子が多数存在していました。

また、天皇の4世孫までが皇親とされ、天皇の数多くの皇子を含むこれらの皇族に対しても、一定の所得を与えることとされていたため、国家の財政を圧迫する原因となりました。また、皇親の中には国家の待遇にかこつけて問題を起こす人物も少なからずいたそうです。

そのため、皇位継承の可能性が無くなったものに姓を与えて臣籍降下させる皇親賜姓が行われました。これにより臣籍降下された皇族は、皇族ではなく臣下の身分になり、任務を与えられました。

特に桓武天皇は一世皇親(自分の子ども)3名を含む、100人余りに臣籍降下を行いました。

また、この時代には皇族がつける職が限定されていたため、臣下になったほうが制約がなく安定した収入を得られる可能性もあったので、自ら臣籍降下を望む者もいました。

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桓武平氏の祖、高望王が武家平氏をつくった

桓武天皇の孫(もしくは曾孫)と言われる高望王は、そういった理由から臣籍降下され平朝臣姓を賜り、平高望と名乗るようになりました。彼が高望王流桓武平氏の祖です。

臣籍降下の後は上総介に任じられ、3人の息子を伴って任地に赴きました。その後、任期が過ぎても帰郷せず、そればかりか息子たちは現地の人間を妻としており在地での勢力を拡大していました。

そして常陸国、下総国、上総国(3か国合わせて、現在の千葉、東京、茨城、埼玉周辺)の未開の地を開墾し、自らが生産者・開発者となることで力を強め、その権利を守るために武士団を形成するようになり、武家平氏の基盤を固めました。

「平」姓を名乗ったキッカケ

平姓を与えられた理由は諸説ありますが、有力な説は歴史学者である太田亮が唱えたもので、桓武天皇の建てた平安京にちなんでというものです。

「其の名称は、平安京(京都市)の本訓タヒラより起こる。蓋し桓武帝、此の都を建てられしにより、其の子孫、此の氏を賜ひしならん」『姓氏家系大辞典』太田亮

他にも中国の古典から用いられた可能性もあるという説もあります。

また、「平家勘文録」には「朝敵をたいらぐる故」だったと書かれています。

Sakura

投稿者プロフィール

天智天皇~称徳天皇朝が好きな一児の歴女ママです。
夢は奈良の明日香村付近に住んで、その時代の古墳やゆかりの地巡りを満喫したいなと思っています。
皆さんに読みやすく、そして分かりやすく面白い文章をお届けしたいです。

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