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坂本龍馬と岩崎弥太郎の接点 2人は本当に幼馴染だったかを検証!

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薩長同盟・大政奉還の立役者、坂本龍馬(1835~1867年)と海運業を独占し、三菱財閥を築いた政商である岩崎弥太郎(1834~1885年)。

二人はドラマ「龍馬伝」では幼い頃からの知り合いとして描かれていますが、本当に接点はあったのでしょうか?

二人はどのようにして出会ったのでしょうか。

坂本龍馬

坂本龍馬は1835年、現在の高知県高知市に、土佐藩士坂本八平の次男として生まれました。坂本家は郷土株をもつ豪商の分家で裕福な家庭でした。

龍馬は1862年土佐を脱藩し、その後は志士として活動し、長崎で貿易会社と政治組織を兼ねた「亀山社中」(「海援隊」の前身)を結成しました。薩長同盟、大政奉還を成立させ、倒幕及び明治維新に影響を与えた人物として現在でも絶大な人気を誇っています。

岩崎弥太郎

一方、岩崎弥太郎は1834年、現在の高知県安芸市に地下浪人(身分の低い武士)で半農半士であった岩崎弥次郎の長男として生まれました。

幼い頃から文才を発揮し、江戸に遊学していた時、父が酒に酔ってけんかをして投獄されたことを知り、帰郷。父の冤罪を訴えたことで弥太郎も投獄されてしまいました。

しかし、獄中で同房の商人から算術や商法を学びました。出獄後は吉田東洋の私塾に入門し、そこで後藤象二郎に認められます。土佐藩は外国との貿易を行うために長崎に土佐商会を設立し、弥太郎もそこで働くことになります。

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二人の初めての接点

坂本龍馬が脱藩の罪を赦されて、亀山社中が海援隊と名称を変え、土佐藩の外郭機関となった時に、弥太郎は後藤象二郎との縁故で藩命を受け、海援隊の経理を担当することになりました。記録として確認できる龍馬と弥太郎の接点は、これが最初とされています。

年こそ1歳しか違いませんが、身分も違い、同じ土佐藩でも龍馬の生まれた高知市と、弥太郎の生まれた安芸市では約40キロほど離れています。その点からみても幼い頃は接点がなさそうですので、幼馴染だというのはドラマ中のフィクションではないでしょうか。

By: yoppy

二人の関係

海援隊で知り合ったとされる坂本龍馬と岩崎弥太郎ですが、二人は不仲であったという説もあります。

しかしながら、岩崎の日記には龍馬が弥太郎に酒を置いていったとか、一緒に酒を酌み交わし将来の夢を語り合ったと書かれています。

また、龍馬が長崎を離れる時には多額の餞別を送ったとされています。そんな二人の関係も龍馬が暗殺されたことによって終焉を迎えます。二人が関係を持っていたのはわずかに1年半あまり。

しかし、弥太郎は龍馬亡き後、海運業に従事し、三菱商会を設立。そこでは海援隊出身の者にも徹底して商人としての教育を施したそうです。

Sakura

投稿者プロフィール

天智天皇~称徳天皇朝が好きな一児の歴女ママです。
夢は奈良の明日香村付近に住んで、その時代の古墳やゆかりの地巡りを満喫したいなと思っています。
皆さんに読みやすく、そして分かりやすく面白い文章をお届けしたいです。

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