過去の記事一覧

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    豊臣秀吉の墓は一体どこにある!?遺骨が埋まる場所とは

    戦国大名の墓って、ひとつでなかったりしますよね。いろいろなところに散らばっていて、いったいどこが本物なの!?と頭を悩ませることもあったり…。本当にそこに遺骨が埋まっているのかも定かでなかったりします。 豊臣秀吉の墓…
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    関ヶ原の戦いの前哨戦 鳥居元忠が命をかけた伏見城の戦いとは

    1600年7月に起きた伏見城の戦いは、10月に起こった関ヶ原の戦いの前哨戦でした。 伏見城を守るのは鳥居元忠、徳川家康がまだ松平竹千代と名乗り、今川氏の人質だったころから仕えた重臣です。対して、攻めるのは石田三成を…
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    山内一豊は側室を持たなかったというけど、それって珍しい?

    山内一豊は、豊臣秀吉や徳川家康に仕えた戦国時代の武将です。元は浪人の出でありながら秀吉の下で出世を遂げ、豊臣家没落の後は、機を見て家康に存在をアピール。江戸時代には幕府から土佐20万石を与えられる大大名となりました。 …
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    島津義久 島津四兄弟の長男の彼の性格とは

    島津義久は薩摩の戦国大名にして島津氏の第16代当主になります。ちょうど豊臣秀吉の天下統一や徳川家康の江戸幕府創設のあたりに生きた人物です。 しかし、どちらかというと弟の義弘(よしひろ)の方が有名なので、いまいち義久…
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    徳川家康が愛した麦飯は、健康食のはしりだった?

    徳川家康が健康オタクだったことは割と有名です。運動のためにと鷹狩りに生涯1000回以上も行ったり、自分で薬を調合したりとけっこうなオタクです。 加えて、家康が気にしていたのは食生活でした。現代の私たちからすれば、び…
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    徳川家康と鷹狩り 家康が鷹狩りに夢中になっていたわけとは

    鷹狩りって、鷹を狩る?…ことではなくて、鷹を使って狩りをすることです。腕に大きな鷹を乗せている図、見たことがある方も多いのではないかともいます。 鷹狩りをこよなく愛した大名の筆頭が、徳川家康でした。生涯で1000回…
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    槍の名手!新撰組原田左之助の使用した槍とは

    新撰組の十番組率いる原田左之助の得物は、槍と言われています。 壬生浪士組、新撰組と隊の主戦力として第一線で活躍し続けてきた原田左之助と共に、いくつもの死闘を潜り抜けてきた愛用の槍とはどんなものだったのでしょうか。 …
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    本多忠勝は戦で終生傷を負わなかったって本当!?

    本多忠勝と言えば、徳川家康の側近中の側近にして比類なき勇将です。豊臣秀吉にも「天下無双」と呼ばれたほどですから、その強さは超一流だったのでしょう。 そんな忠勝に伝わる話といえば、戦において終生傷を負わなかったという…
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    新撰組隊士 原田左之助は実は結婚していた! お相手はどんな人?

    殺伐とした幕末の世に身を投じ人斬り集団とも恐れられた新撰組。斬った張ったの日々のなか、癒しや安らぎを女性に求め、島原などに通ったり、色街の女性を囲い安息所に置くなど現地妻のような形で妾を作ったりしている隊士もいました。 …
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    徳川四天王本多忠勝の子孫 江戸時代は不遇な時を過ごしていた!?

    徳川四天王のひとりにして猛将の誉れ高い本多忠勝。徳川家康の譜代の家臣でありながら、織田信長や豊臣秀吉もその武勇を称えました。 秀吉は忠勝のことを「東に本多忠勝、西の立花宗茂(たちなばむねしげ)」と、西国の勇将・立花…
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人名・事柄名

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