過去の記事一覧

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    英傑?暴君?幕末最強の武装集団、新撰組局長「近藤勇」の性格とは?

    幕末最強ともいわれ、京を震撼させた、新撰組。 その新撰組を束ね、武士の世の終わりに儚くも殉じた局長「近藤勇」とは、いったいどのような人物だったのでしょうか。 今回は、残されたエピソードや証言から、近藤勇の性格…
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    織田信長と一向宗の戦い!超リアリストvs理想主義の10年抗争

    石山本願寺を頭とした一向宗門徒は、戦国の雄、織田信長に対して長い間敵対していました。 最終的に双方戦いの矛を収めて和睦を果たしますが、10年に及び各地で続いた一向宗との抗争は信長の前に大きく立ちはだかり、天下統一への動…
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    新撰組のブレーン 最期は壮絶な切腹死を遂げた山南敬助の性格とは

    新撰組幹部の中でも、特に謎の多い山南敬助。 その姓は、現在一般的には「やまなみ」と読まれることが多いようですが、「三南」「三男」と書かれている史料があることなどから「さんなん」と読むのが正しいとも言われています。 …
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    新撰組の斬り込み隊長!藤堂平助の性格とは

    新撰組の八番隊組長をつとめ、斎藤一と並び最年少幹部としても知られる藤堂平助。 近藤勇の四天王とまで言われていた藤堂平助は、じつは津藩主のご落胤説のある人物です。 そんな藤堂平助は、いったいどんな性格だったので…
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    築山殿は悪妻だった!? 徳川家康正室の謎に包まれた生涯とその性格

    徳川家康が何人もの側室を持った大変な女好きだったことは有名だと思いますが、家康の正室だった女性、築山殿のことを皆様はご存じでしょうか? 後世書かれた書物は一様に、「築山殿は性格が悪く、妬み深かった」「築山殿が息子の信康…
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    その兜はニッカウヰスキーのエンブレムにも-武勇の士だった山中鹿介

    山陰・出雲の武将、山中鹿介幸盛。彼が主家尼子の再興に生涯を賭けたことは、2014年の大河ドラマ『黒田官兵衛』にも登場したためご存じの方も多いかと思います。 この山中鹿介、尼子十勇士の筆頭とされ武芸に優れた人物として…
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    尼子の忠臣:山中鹿介のお墓はどこに? 悲運の最期を弔う場所に迫る!

    14世紀末から出雲を支配し、一時は山陰・山陽の11国を従えた尼子氏。その一族に連なる家系の出身で、主家尼子再興に短い生涯を捧げた悲運の戦国武将が山中鹿介です。 鹿介の逸話は前にもご紹介させて頂きましたが、今回はその…
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    山県昌景の赴くところ敵なし!名将が指揮した最強精鋭部隊、武田の赤備え

    武田四天王の1人でもあり、赤備え部隊の指揮者として有名な武将、山県(源四郎/三郎兵衛)昌景。 主君の武田信玄からは「源四郎の赴くところ敵なし」と称賛され、徳川家康は三方ヶ原の戦いで敗走した後に「さても山県というは恐ろし…
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    武田軍師 山本勘助は実在の人物!? その存在の真偽に迫る!

    山本勘助はなんとも謎多き武将です。武田信玄が見出した名軍師と言われ、江戸時代には絶大な人気を誇った、いわゆる歴史上の偉人でした。 けれども、一次史料が極端に少なかった影響もあり、明治期以降には、実在しない架空の人物とみ…
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    明智光秀の子孫が実は現在もいた! どんな人物なのかに迫る!

    本能寺の変で織田信長を討ち、稀代の逆臣として知られている明智光秀ですが、彼の時代は「三日天下」と呼ばれるほどほんの一瞬のことでした。 中国攻めから舞い戻った羽柴秀吉との山崎の戦いに敗れた光秀は、落ち武者狩りの農民に…
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人名・事柄名

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