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織田信長はワイン好き?日本で最初に飲んだという噂に迫る!

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織田信長が日本で最初にワインを飲んだ人物だという説があります。

そういえばテレビの歴史ドラマで、信長の側にワインとおぼしき赤い液体の入ったグラスが置かれた光景を、何度か見かけたことがあるような気がしませんか。

新しいもの好きだった彼に、なるほどワインはいかにも似つかわしい飲み物ですね。

ですが、織田信長は具体的にワインを誰から手に入れていたのでしょうか。また、ワインにも色々ありますが、信長が飲んでいたのはどんなワインだったんでしょう?

テレビで見かけるような赤?それとも白?そして産地はどこのものか気になりませんか?

ワインはその頃は珍陀(チンタ)酒と呼ばれていた

戦国時代あたりの記録で現在に残っているものを見てみますと、”珍陀酒”または”陳陀酒”という舶来のお酒の名前を目にすることができます。

これがワインの事を指すらしく、その頃、どうやらワインはチンタ酒と呼ばれていたようです。

この名前は赤ワインのポルトガル語がvinho tinto(ヴィーニョ・チント)ですので、そのポルトガル語由来の言葉とされます。

戦国時代、ポルトガルと聞けば、歴史好きの皆様なら多分、火縄銃やフランシスコ・ザビエルという言葉を思い浮かべますよね。うん、何となく、織田信長とワインの接点が見えてきたような気がしませんか。

イエズス会の宣教師達と懇意だった織田信長

そう、織田信長は来日したキリスト教の宣教師達と会うのが好きだったんです。

アレッサンドロ・ヴァリニャーノやルイス・フロイスなどのイエズス会宣教師とよく会見していたという記録が「信長公記」や、ルイス・フロイスの「日本史」、フロイスの書簡等に残っているので、これは間違いありません。ヴァリニャーノから黒人奴隷の弥助をもらい受けて従者にしていた話は有名です。

その他にも様々な献上品を受け取っていたようで、中には目覚まし時計などもあったといい、これにはさすがの信長もびっくりしたといいます。

そして、気になるワインの件ですが、キリスト教というか16世紀の日本に来日した宣教師達が属していたカトリックのミサには、ワインがつきもの。

ですから、ヴァリニャーノやフロイスが日本にワインを持ち込んでいた事は間違いありません。

実際、当時のイエズス会宣教師には「お酒を好む大名や貴族にはワイン、下戸の大名や貴族には甘いお菓子」を献上することという宣教マニュアルがありました。

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織田信長が飲んだワインはいったいどんな味だった?

で、気になるもうひとつのことーそのワインの、お味の方はどうだったんでしょうか。

それを考える手がかりのひとつに、その頃の輸送技術やヨーロッパ~日本の距離そして航海日数などがあります。

当時、ヨーロッパから東アジアに来るためには、必ず一度は暑い赤道直下の海を通らなくてはならず、また帆船を使っての年単位に及ぶ長い航海が必要でした。

長期間にわたる移動中にワインを冷蔵保存する技術は存在しなかったので、暑さの中でもできるだけ品質が長持ちするワインでなくてはなりません。

ワインというお酒はタンニンが多く含まれて色が濃く、熟成が進んでアルコールの度数が高いものほど長持ちさせられます。正確な産地までは特定できませんが、西洋人達が東アジアの国々へ持ち込むために選ばれたワインはきっとそういう特徴を備えていたことでしょう。

つまり、かなり強くてそれに渋い、赤ワインだったことが考えられるのです。イエズス会士の多くが、ポートワインやマデイラワインと呼ばれる甘い酒精強化ワインで有名なポルトガルの港からヨーロッパを出発していたため、日本で珍陀酒と呼ばれたお酒はポートワインだったのでは?という説も時々目にしますが、それはあまり信憑性がないと思います。

というのは、ワインに後からブランデーを加えて作られる、現代でも飲まれているあのポートワインの製造方法が確立したのは17世紀後半以降、日本が江戸時代に入った後のことだからです。

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しかし、織田信長はストイックでお酒を飲まない人だった!?

ところで宣教師ルイス・フロイスが書いた「日本史」には、信長とワインの関係(?)について、ちょっと気になる記載も見られます。

彼は信長についてこのように書いているんです。

酒を飲まず、食を節し、人の扱いにはきわめて率直

また、早朝に起床する、軍事的修練にいそしんでいるともあり、織田信長という人は相当ストイックな人だったようです。

特に、”酒を飲まず”と書いてある部分については、ワイン問題を調べる上ではかなり気になります。この記述を証拠として、信長は体質的にお酒が飲めない、下戸だったという説を立てる人もいます。

下戸説が本当だとしたら、果たしてワインを飲んだでしょうか。

というより、渋くて強いワインを飲めたんでしょうか。また、完全な下戸だったかどうかはともかく、信長がかなりの甘党だったのは確かなようで、干し柿が大好きで、戦場にも持ち歩いていて、手柄を立てた家臣に褒美として与えていたと言います。

フロイスに金平糖がたくさん入った瓶をもらって大喜びし、お返しに大好物の干し柿をプレゼントしたという話も書き記されています。

とはいえ、お酒も飲むけど甘い物も好きっていう人もいますし、ふだん日本酒を飲まない人だったとしても、西洋人から珍しい赤いお酒が献上されたら、よっぽどの下戸で本当に一滴もお酒が飲めない体質でもない限り、珍しいもの好きの信長ならきっと味見ぐらいはしますよね。

ただ実は、信長が生まれる50年以上前の1483年に、京都の公家である近衛家の人が『チンタ』を飲んだという史料が残っているんです。

つまり結局のところは織田信長が日本で最初にワインを飲んだ人という訳ではありませんでした。

ですが、ザビエル来日の前、近衛家の人はいったいどこから赤ワインを手に入れて飲んだんでしょうね。

ナカガワ マスミ

投稿者プロフィール

戦国時代から昭和史まで、歴史には幅広く興味を持ち、色々調べ出したら止まりません。
合戦の話も好きですが、文化史が特に好き。そういう意味では平安中~後期も愛していますね。
皆様にも是非「歴史って面白いんだ!」と思って頂きたいと思いながら、記事を書いています。応援よろしくお願いします。

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