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平賀源内はうなぎを絶滅危機に追い込んだ張本人!?

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2014年6月12日、国際自然保護連合(IUCN)はニホンウナギを「絶滅する危険性が高い絶滅危惧種」に指定しレッドリストに掲載しました。それに伴い、うなぎの値段は上昇したまま下がりそうにありません。

日本人のうなぎ好きは、「土用の丑の日」にうなぎを食べるという風習からもわかりますが、そもそも「土用の丑の日」と「うなぎ」を結びつけたのは江戸時代の発明家・平賀源内といわれています。

なぜ「土用の丑の日」に「うなぎ」を食べるのでしょうか。

土用の丑の日とは

土用の丑の日とは「土用の間のうち十二支が丑となる日」のことです。土用とは四立、つまり立春・立夏・立秋・立冬の直前約18日ずつのことで、一般には立秋の前、夏の土用を指しています。

十二支とは、子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥のことなので、18日ある土用の間に丑の日は必ず一日以上あることになります。

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うなぎの旬

ビタミンB・A群を多く含み夏バテや食欲減退防止のイメージが強いため、夏が旬と考えられがちなうなぎですが、実際には旬は冬です。うなぎは晩秋から初冬にかけて冬眠に備えて体に養分を貯えるため、冬のうなぎは脂が乗っていて、身もやわらかくておいしいのです。逆に春から夏にかけては味が落ちてしまいます。しかし、うなぎがにほんで最も食べられているのは夏の「土用の丑の日」なのです。

平賀源内の発案

商売がうまく行かない鰻屋が、夏に売れない鰻を何とか売るため源内の所に相談に行きました。江戸の人はうなぎの旬を知っていたのでしょう。そこで源内は、「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを勧めます。すると、その鰻屋は大変繁盛したというのです。その後、他の鰻屋もそれを真似るようになり、土用の丑の日に鰻を食べる風習が定着したといわれています。

なぜ「丑の日」と書かれた貼り紙一枚でうなぎが売れたのか。

一説によれば、そもそも江戸には「丑の日に『う』の字がつく物を食べると夏負けしない」という風習があったそうで、瓜、梅干、うどん、うし、うまなどがそれにあたりますが、現在まで残っているのはうなぎだけのようです。

 

他にも

土用に大量の蒲焼の注文を受けた鰻屋、春木屋善兵衛が、子の日、丑の日、寅の日の3日間で作って土甕に入れて保存しておいたところ、丑の日に作った物だけが悪くなっていなかったからという説や、鰻屋に相談をもちかけられた蜀山人(大田南畝)が、「丑の日に鰻を食べると薬になる」という内容の狂歌をキャッチコピーとして考え出したという話、さらには平仮名で墨汁を使って毛筆で書いた「うし」と言う文字が、まるで2匹の鰻のように見えたからと言う説もあります。

家康による江戸湾の干拓事業に伴い多くのうなぎが獲れ、さらに蒲焼きの鰻丼は江戸の芝居町で評判となっていました。

つまり、理由さえあれば夏でもうなぎが売れる素地はすでに江戸にあったといえるでしょう。現在私たちの行事として定着し、誰も疑うことのないバレンタインデーとチョコレートも、チョコレート業界の陰謀ともいわれているように、日本人は元来イベント好きなところがあるのではないでしょうか。

真相がどうであれ、一年に一回、少々贅沢なうなぎを食べる理由になってくれる「土用の丑の日」を毎年楽しみにしてしまうのは私だけでしょうか。

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