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土方歳三の俳句 梅の花 一輪咲いても 梅は梅に秘められた意味とは?

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力自慢の烏合の衆を、鉄の掟で縛りまとめあげた、新撰組鬼の副長こと、土方歳三。

暗殺、拷問、粛清など、役者のような外見とは裏腹に冷酷なイメージがある土方歳三ですが、まだ新撰組副長になる前の、故郷多摩にいた時代は、俳句を嗜むような感性の豊かな青年でありました。

土方歳三の残した俳句からは、たった一輪咲いたの梅の花を愛でるような、優しさと慈しみが見え隠れします。

朋友近藤勇を支え、新撰組という大きな組織のブレーンとして、また憎まれ役汚れ役を担ってきた副長としての立ち位置を気高くも全うした、土方歳三の素顔とはいったいどういうものだったのでしょうか。

彼の読んだ俳句から伝わる、土方歳三の生きた記憶を感じてみることにしましょう。

趣味は俳句、そのきっかけは

泣く子も黙る新撰組副長、土方歳三が生を受けたのは、1835年(天保6年)のこと。武州多摩郡石田村(現在の東京都日野市)の富農土方家の四男でした。正確には10人兄弟でしたが、その中の4人が早世し実質的には兄が3人と姉が2人いる、末っ子として育ちました。誕生前に父親が結核で亡くなっていて、歳三が満5歳の時に母親も亡くなります。豊かな家で育ちましたが父母の不在という、その欠落感が人との絆を大切にする歳三の気質を育んだのかもしれません。

歳三が育った武州には、鎌倉幕府を作った源頼朝を支えた気性の荒い坂東武者の子孫たちが多く、農民でも剣術修行をするような土地柄でもありました。

そんな武州の言葉で乱暴者を意味する「バラガキ」と呼ばるほど悪ガキだった歳三の祖父は、実は三月亭石巴という雅号を持つ俳人でした。そのため、土方家には俳句を嗜むような文化があり、歳三自身も自然と俳句に親しむようになったようです。

また、新撰組、ひいては歳三を支え続けた姉のぶの夫、義兄の佐藤彦五郎も、俳句を好んでいました。

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物事を素直にとらえる、目線

梅の花 一輪咲いても 梅は梅

歳三の作る句は、日野の豊かな自然や何げない風景をありのままくみ取ったものが多いとされています。

現代の専門家の方たちからは、「俳句のルールもなってない、へたくそな作品」と言われることも。

けれど、「歳三の俳句の腕前は、下手の横好き程度」と評される時にも必ずピックアップされる、上記の梅の花の句もまるで情景が見えるような、すとんと真っ直ぐ心に落ちてくる作品ではありませんか。

普通は群れて咲く梅の花が、たった一輪咲いているのを見て、歳三はなにを思ったのでしょうか。その健気な姿に励まされたか、それとも、どんな咲き方をしても本質は変わらないと、自分を鼓舞したのでしょうか。

現在も残る土方歳三の句集『豊玉発句集』が編まれたのは、文久3年、西暦1863年のことです。豊玉とは、歳三の雅号です。

文久3年は、土方歳三が、のちの新撰組の前身となる「浪士組」に参加し、将軍様の護衛として上洛する年でもありました。

武士になり幕府を支える、そんな大望を抱いた歳三は仲間と共に故郷日野を発ちます。命を捨てる覚悟をすると同時に、自分の生きた証として身内にこの発句集を残したのかもしれません。

友の句 恋の句 そして覚悟の句

『豊玉発句集』は全部で41首の俳句がおさめられています。

その中でもとくに、歳三の人間らしさが際立った句をいくつかご紹介しましょう。(解説部分は筆者の個人的意見です、あしからず)

おもしろき 夜着のならびや 今朝の雪

朝起きたら誰かが「おぉ!雪だ」なんて言うから、夜着のままみんなで並んで外を見てしまった…そんな試衛館門弟時代を想像してしまいます。

春の夜は むつかしからぬ 噺かな

過ごしやすい春の夜だし、同志たちとごろ寝しながらおしゃべりもいいもんだ…いつの時代も同年代があつまれば武勇伝でも恋バナでも盛り上がっちゃうんです。

しれば迷い しなければ迷わぬ 恋の道

知ってしまったゆえの、悩みってある。恋の道は一筋縄ではいかないけれど…家柄も良く顔もいい、歳三はモテモテでした。この後鬼副長になるなんて誰が想像したでしょう!

白牡丹 月夜月夜に 染てほし

真っ白な牡丹が、月光を浴びて、もっともっと白くなればいい…白梅、雪、白牡丹、と歳三は白が好きでした。どんなに時代や境遇が変わっても、気高く貫き通した矜持が、私には穢れのない白に見えます。

さしむかう 心は清き 水かがみ

共に、と心を合わせた朋友と、志を貫くために俺は京へ行く…上洛の覚悟。武士として生きる覚悟。最期まで駆け抜けた歴史を知ってしまっているからか、ついつい深読みしてしまう句です。

まとめ

土方歳三の残した『豊玉発句集』は、現代語訳され、多くの本やグッズにもなっています。

土方歳三のご子孫が経営する『土方歳三資料館』には、原本があり、実際に歳三の自筆を見ることができます。

達筆でありながら優しいその筆跡が、土方歳三という人物が確かにいたことを、実感させてくれます。

北村美佳子

投稿者プロフィール

いにしえに想いを馳せて、一人涙し、一人ニヤつく。そんな日本史をこよなく愛するライター。重度の活字中毒でもある。愛読書は梅原猛氏の本。
日本史が好き過ぎて、記事を書きながら悶絶することも多々あるけれど、いくつになっても好きなものは好きだと言える女でいたい、そう願って邁進中であります。

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