カテゴリー:や行

  • 新撰組のブレーン 最期は壮絶な切腹死を遂げた山南敬助の性格とは

    新撰組幹部の中でも、特に謎の多い山南敬助。 その姓は、現在一般的には「やまなみ」と読まれることが多いようですが、「三南」「三男」と書かれている史料があることなどから「さんなん」と読むのが正しいとも言われています。 …
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  • その兜はニッカウヰスキーのエンブレムにも-武勇の士だった山中鹿介

    山陰・出雲の武将、山中鹿介幸盛。彼が主家尼子の再興に生涯を賭けたことは、2014年の大河ドラマ『黒田官兵衛』にも登場したためご存じの方も多いかと思います。 この山中鹿介、尼子十勇士の筆頭とされ武芸に優れた人物として…
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  • 尼子の忠臣:山中鹿介のお墓はどこに? 悲運の最期を弔う場所に迫る!

    14世紀末から出雲を支配し、一時は山陰・山陽の11国を従えた尼子氏。その一族に連なる家系の出身で、主家尼子再興に短い生涯を捧げた悲運の戦国武将が山中鹿介です。 鹿介の逸話は前にもご紹介させて頂きましたが、今回はその…
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  • 山県昌景の赴くところ敵なし!名将が指揮した最強精鋭部隊、武田の赤備え

    武田四天王の1人でもあり、赤備え部隊の指揮者として有名な武将、山県(源四郎/三郎兵衛)昌景。 主君の武田信玄からは「源四郎の赴くところ敵なし」と称賛され、徳川家康は三方ヶ原の戦いで敗走した後に「さても山県というは恐ろし…
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  • 武田軍師 山本勘助は実在の人物!? その存在の真偽に迫る!

    山本勘助はなんとも謎多き武将です。武田信玄が見出した名軍師と言われ、江戸時代には絶大な人気を誇った、いわゆる歴史上の偉人でした。 けれども、一次史料が極端に少なかった影響もあり、明治期以降には、実在しない架空の人物とみ…
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  • 山内一豊は側室を持たなかったというけど、それって珍しい?

    山内一豊は、豊臣秀吉や徳川家康に仕えた戦国時代の武将です。元は浪人の出でありながら秀吉の下で出世を遂げ、豊臣家没落の後は、機を見て家康に存在をアピール。江戸時代には幕府から土佐20万石を与えられる大大名となりました。 …
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  • 山中鹿介の名言の真実 我に七難八苦を与えたまえとは祈っていない!?

    出雲の戦国大名・尼子(あまご)氏に最後の最後まで仕え、忠誠心篤い武将と称えられる山中鹿介(しかのすけ)幸盛。 彼に関する逸話に「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」という、三日月に祈ったとされる有名な名言があります。…
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  • 長篠の戦いで討死した武将は!? 設楽原であえなく散った武田家臣名鑑

    徳川領内の三河国長篠城奪取をもくろみ、包囲した武田軍。 それを契機に世にいう長篠の戦い(1575年)が起こりました。この戦いを描いたいわゆる『長篠合戦図屏風』は、実に8種ほども現存しています。屏風絵として人気の高い…
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  • 豊臣秀吉と茶々(淀殿)、2人はなぜ結ばれた!? その秘密に迫る!

    豊臣秀吉と浅井茶々こと後の淀殿。 この2人は、年齢・体型・出身など、すべてがデコボコに感じる組み合わせで異色の戦国カップルです。 ですが、秀吉と茶々の間には2人の男子が生まれますし、実際は強い絆で結ばれていた…
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  • 北政所と淀殿 互いの胸中は複雑だったのか?戦国女性の女心を考察

    豊臣秀吉の正室で生涯子をなさなかった北政所と、秀吉の後継ぎ秀頼を産み育てた側室・淀殿(淀の方)。 この2人の間にはやはり、お互いに対して否定的な感情や、嫉妬心があったのでしょうか。 現代とは全く違う夫婦関係を…
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人名・事柄名

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