カテゴリー:は行

  • 明智光秀の子孫が実は現在もいた! どんな人物なのかに迫る!

    本能寺の変で織田信長を討ち、稀代の逆臣として知られている明智光秀ですが、彼の時代は「三日天下」と呼ばれるほどほんの一瞬のことでした。 中国攻めから舞い戻った羽柴秀吉との山崎の戦いに敗れた光秀は、落ち武者狩りの農民に…
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  • 槍の名手!新撰組原田左之助の使用した槍とは

    新撰組の十番組率いる原田左之助の得物は、槍と言われています。 壬生浪士組、新撰組と隊の主戦力として第一線で活躍し続けてきた原田左之助と共に、いくつもの死闘を潜り抜けてきた愛用の槍とはどんなものだったのでしょうか。 …
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  • 本多忠勝は戦で終生傷を負わなかったって本当!?

    本多忠勝と言えば、徳川家康の側近中の側近にして比類なき勇将です。豊臣秀吉にも「天下無双」と呼ばれたほどですから、その強さは超一流だったのでしょう。 そんな忠勝に伝わる話といえば、戦において終生傷を負わなかったという…
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  • 新撰組隊士 原田左之助は実は結婚していた! お相手はどんな人?

    殺伐とした幕末の世に身を投じ人斬り集団とも恐れられた新撰組。斬った張ったの日々のなか、癒しや安らぎを女性に求め、島原などに通ったり、色街の女性を囲い安息所に置くなど現地妻のような形で妾を作ったりしている隊士もいました。 …
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  • 徳川四天王本多忠勝の子孫 江戸時代は不遇な時を過ごしていた!?

    徳川四天王のひとりにして猛将の誉れ高い本多忠勝。徳川家康の譜代の家臣でありながら、織田信長や豊臣秀吉もその武勇を称えました。 秀吉は忠勝のことを「東に本多忠勝、西の立花宗茂(たちなばむねしげ)」と、西国の勇将・立花…
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  • 本多忠勝の晩年と最期 死因は糖尿病!?

    徳川家康に仕え、数々の戦いで猛将ぶりを発揮した本多忠勝ですが、江戸幕府ができて戦が無くなってからは、どのように過ごしていたのでしょうか。 すでに晩年に差し掛かっていたと思われますが、彼の余生はどうだったのかを見てい…
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  • 長篠の戦いで討死した武将は!? 設楽原であえなく散った武田家臣名鑑

    徳川領内の三河国長篠城奪取をもくろみ、包囲した武田軍。 それを契機に世にいう長篠の戦い(1575年)が起こりました。この戦いを描いたいわゆる『長篠合戦図屏風』は、実に8種ほども現存しています。屏風絵として人気の高い…
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  • 土方歳三の辞世の句 どんな意味が込められているのか徹底検証!

    「辞世」とは、この世との別れを告げることを意味します。 文人や武士・僧の多くは、戦や病など自分の死が近づいてくると、辞世の歌を残しました。 奈良時代の歌人柿本人麻呂から、昭和期の作家三島由紀夫まで辞世の歌はあ…
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  • 土方歳三は本当に「鬼」だったのか!? 残されたエピソードから性格を探る

    拷問、粛清、厳しい掟や取り締まりなどにより、敵からも味方からも「鬼」と称され恐れられるほどだったと伝わる新選組副長:土方歳三。 一方では俳句を嗜む、感性の豊かな面があったり、部下を気遣う優しさを見せたりと、彼の性格はど…
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  • 猛将 本多忠勝の三方ヶ原の戦いでの奮戦ぶりに迫る!

    勝ち戦の中での功労者はかっこいいですが、敗戦の中で孤軍奮闘した人物により魅力を感じるのは私だけでしょうか。 徳川四天王として勇名を馳せ、豊臣秀吉には「東に本多忠勝、西に立花宗茂(たちばなむねしげ)」と称賛された勇将…
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人名・事柄名

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