カテゴリー:た行

  • 徳川家康 本能寺の変勃発時の状況と領国三河への道中記

    本能寺の変と言えば主役は明智光秀と織田信長ですね。 そして、信長が討たれた後の豊臣秀吉(当時は羽柴)の動きの速さは「中国大返し」と呼ばれて有名です。 ところで、徳川家康は何をしていたのでしょう? 実は、…
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  • 徳川家康に兄弟はいた!? あまり名を聞かない天下人家康の兄弟徹底解剖!

    徳川家康に兄弟がいるイメージって、あまりないような気がしませんか? 小さなころに今川氏の人質になったせいか、一人っ子のような気がしてしまうんです。 しかし、家康にもちゃんと兄弟がいました。 どんな人たち…
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  • 新撰組の最年少幹部 藤堂平助の愛刀とは

    江戸千葉道場で北辰一刀流を学びつつも、近藤率いる試衛館に出入りするようになり新撰組の草創期を支えた、生え抜きの幹部隊士藤堂平助。 戦闘時には真っ先に敵陣に飛び込んでいくことが多いため「魁先生」との異名を持ちながら、…
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  • 徳川家康と朝日姫 二人が結婚に至ったのはやっぱり人質!?

    戦国武将の例に倣って、徳川家康にはたくさんの妻がいました。 最初の正室・築山殿(つきやまどの)が亡くなった後、次の正室になった朝日姫とは、豊臣秀吉の妹だったのです。 しかし、なぜ秀吉の妹が家康に嫁ぐことになっ…
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  • 武田信玄に子供は何人いた? 後継者の勝頼が四男だったのはなぜ?

    武田信玄の後を継いだ勝頼は、武田家の四男とされています。ということは、勝頼の上にはお兄さんが3人いたっていうことですよね?勝頼はどうして、兄たちを差し置いて信玄の死後、甲斐武田家の当主となったのでしょうか。 男の子…
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  • 豊臣秀吉の天下統一!信長死後の流れまとめ

    波乱の戦国時代に終止符を打ち、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉。本能寺の変で主君:織田信長が討死後、わずか10年足らずで急速に日本中を制圧しました。 明智光秀に勝利した山崎の戦いから北条氏と戦った小田原征伐まで、その流…
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  • 豊臣秀吉と茶々(淀殿)、2人はなぜ結ばれた!? その秘密に迫る!

    豊臣秀吉と浅井茶々こと後の淀殿。 この2人は、年齢・体型・出身など、すべてがデコボコに感じる組み合わせで異色の戦国カップルです。 ですが、秀吉と茶々の間には2人の男子が生まれますし、実際は強い絆で結ばれていた…
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  • 直江状!直江兼続は家康に喧嘩を売った!?手紙の内容を現代語訳にすると

    徳川家康を激怒させたという、直江兼続からの一通の手紙。 後世、直江状と呼ばれるそれは家康に会津上杉の討伐を決意させ、関ヶ原の戦いが起こる発端となったとも言われます。 家康をそれほど怒らせたという直江状。その中…
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  • 人は城 - 勝利を築くための礎は人!武田信玄の戦国人生観

    人は城、人は石垣、人は堀。戦国史ファンなら、きっとこの言葉を一度は目にしたことがありますよね? そう、この言葉は武田信玄の名言としてよく知られているものです。 これには続きがあるのですが、全文をご存じの方は意…
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  • 明智光秀と豊臣秀吉、彼らの関係性に迫る!

    明智光秀と豊臣秀吉と言えば、本能寺の変の後、山崎の戦いで秀吉が光秀を破り、結果として彼の天下取りへの大きな一歩となったわけです。 そのことばかりがついクローズアップされますが、考えてみれば、2人は同じ時期を信長の家…
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人名・事柄名

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