カテゴリー:か行

  • 小早川秀秋の呼称 「金吾(きんご)中納言」ってどういう意味!?

    戦国大名と朝廷の官位って、あまり結びつくイメージが無いような気がしませんか? 大名たちが衣冠束帯に身を包んで参内している図って、なんだか奇妙な感じがします。 しかし、有力な大名になると皆、官位を与えられていた…
    • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 加藤清正ここにあり! とにかく目立つ、烏帽子形兜に込められた意味

    加藤清正は、豊臣秀吉の家臣で、賤ヶ岳七本槍の一人として武勇を馳せた人物です。 トレードマークとが多いとされる加藤清正ですが、今回はそのトレードマークの一つ、長いながーい兜について紹介していきます。 忠義の人 加藤…
    • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 武田信玄は高坂昌信へ手紙で愛を告白!? 戦国武将のBL事情に迫る!

    武田二十四将のうちに数えられている高坂昌信。 彼は、武田信玄にもっとも信頼されていた家臣の1人として知られます。 信玄時代の武田家と、越後の上杉家が何度も合戦をして争っていたのは有名ですが(川中島の戦い)、高…
    • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 加藤清正と福島正則 どうして後世ここまで評価に違いが出た!?

    共に豊臣秀吉の子飼いから同じように武功をあげて出世してきた加藤清正と福島正則。 秀吉の死後は家康について、東軍側として石田三成率いる西軍側と戦ったところも同じです。 ですが、何故か後年の評価やイメージに違いが…
    • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 新撰組局長 近藤勇が処刑されなくてはならなかった理由とは!?

    長い江戸時代の終わりに、幕府と運命を共にした武士達が大勢いました。 新撰組局長、近藤勇もその一人です。 混乱と不安の幕末期に、力自慢の烏合の衆をまとめ上げたその人柄は、忠義に厚く大らかだったと言われています。…
    • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 北政所はどんな性格だった? 太閤 豊臣秀吉を支えた妻の素顔

    木下藤吉郎と呼ばれた若き時代から、豊臣秀吉を支え続けてきた妻:北政所こと、ねね(一説にはおねとも言われる)。 夫の死後は剃髪して尼僧となり、高台院夫人とも呼ばれました。 戦国のファースト・レディとも言える北政…
    • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 関ヶ原の戦い 東軍に寝返りをした武将たちの諸事情に迫る!

    関ヶ原の戦いの戦局の行方を決めたとも言われる、小早川秀秋をはじめとした武将たちの寝返りですが、これはどうして起こったのでしょうか。 寝返りという、命を懸けた決断の裏には、何か事情があったのではないかとも思ってしまい…
    • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 新撰組の強さの源!天然理心流とはどんな特徴を持った剣術だった!?

    志を掲げ、幕末を駆け抜けた新撰組。 新撰組の幹部のほとんどが、「天然理心流」という剣術の流派を修めていました。 今回は、その「天然理心流」とはどんな剣術だったのかについて迫ります。 「新撰組」の活躍と共に有…
    • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 天下分け目の関ヶ原の戦い小西行長が西軍として参戦した理由とは

    堺の商人の子として生まれ、秀吉の家臣となった小西行長。 キリシタン大名の一面もある彼は天下分け目の関ヶ原の戦いにおいて、石田三成側の西軍として参戦します。 彼が西軍側で参戦した理由を見ていきましょう。 石田…
    • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 関ヶ原の戦いと北政所の関係 淀殿に対抗して徳川家康に味方していた!?

    豊臣秀吉の正室、北政所(きたのまんどころ)。 時代小説・ドラマなどで彼女は夫の死後、徳川家康に味方したと描かれることが多いですが、実際はどうだったのでしょうか? また、北政所と秀吉の後継ぎ秀頼の母・淀殿は対立…
    • このエントリーをはてなブックマークに追加

人名・事柄名

ページ上部へ戻る