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吉田松陰の名言と意味

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松下村塾を主宰し、多くの維新志士を育てた吉田松陰は多くの名言を残しています。

それは、彼が個性尊重の教育を旨としていたからです。彼は個人指導については「養」の一字が大切として、打ったり叩いたりしてすぐさま正していくのではなく、自分が気づいて正していくことを基本としていました。松陰はそのために、塾生を常によく観察して記録にとどめ、大切なことはすぐ手書きの手紙を渡しました。

彼の残した名言はどのような人に影響を与えたのでしょうか。

「諸君、狂いたまえ」

松陰はこの言葉の前段に「狂愚まことに愛すべし、才良まことに虞るべし」とも述べています。松陰は、自らを「狂愚」と呼びました。「狂は常に進取に鋭く、愚は常に避趨に疎し」と述べています。つまり、「狂」は積極的に何事かを進み取ることに鋭く、「愚」は逃げたりすることに疎い、ということです。要するに、積極的に行動する、至誠の人ということを指しているのでしょう。

松陰は行動を大切にする人であり、久坂玄瑞宛に送った手紙の中にも、、「なるほど、あなたのいうところは滔々としているが、一としてあなたの実践からでたものではないし、すべて空言である。一時の憤激でその気持ちを書くような態度はやめて、歴史の方向を見定めて、真に、日本を未来にむかって開発できるように、徹底的に考えぬいてほしい」と記し、実践と経験の大切さに触れています。

こうした松陰の「狂」という考え方は多くの門下生に影響を与えており、山縣有朋は改名して「山縣狂介」を名乗っていますし、高杉晋作も「東洋一狂生」と名乗っています。

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「草莽崛起」

志を持った在野の人々こそが日本の変革を担う原動力になるということです。

松陰はこの「草莽崛起」論を安政6年、つまり安政の大獄で処刑されるほんの1ヶ月前に佐久間象山の甥に宛てた手紙に書いています。「那波列翁(ナポレオン)を起してフレーヘードを唱えねば腹悶医し難し。…今の幕府も諸侯も最早酔人なれば扶持の術なし。草莽崛起の人を望む外頼みなし」。

すなわち松陰は、ナポレオンがフランス革命によって人民に解放した「フレーヘード」=自由を念頭に幕府や諸大名はもはや頼みにならないので、「草莽」=在野の有志が立ち上がらねば日本の現状は変えられない、と述べているのです。

松陰は杉家に幽閉されて以来、「勤王僧」と称される月性や黙霖との論争を通じて倒幕論の影響を受けており、身分に関係なく、志のある者が時代を変革する力になるというこの考えは、松陰が悩みぬいた末にたどり着いた結論だったのでしょう。

この「草莽」は久坂玄瑞が土佐藩・武市半平太に宛て、坂本龍馬に託した手紙にも「竟に諸侯恃むに足らず。公卿恃むに足らず、草莽志士糾合義挙の他にはとても策これ無き事」とあります。「今は大名も頼りにならず、公卿も頼りにならない。志を持った在野の人々こそが立ち上がるほかにない」と松陰と思いを同じくしていたことがわかります。

By: ume-y

 

「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」

このようなことをすれば、このような結果になることを十分承知していながら、止むに止まれぬ気持ちから行動に踏み切った。これこそが日本人の魂なのだ。

安政元年、松陰がアメリカへの密航が失敗し、獄中で詠んだ歌です。この歌は赤穂浪士の仇討ちと、自分の下田踏海の心境を重ねた歌ともいわれ、「同じく国禁を犯した赤穂義士は本懐を遂げ、我は失敗し捕らえられた。しかし、志に差があるものか」という思いも込められているようです。

また、武士道における「義」は、武士道第一の徳目とされています。「義」は、「正しい行い」という意味と同時に「損得を考えない」という意味もあり、「自分が正しいと信じることのためには、行動し続けるべきだ」という松陰の思いが感じ取れます。行動を重視する松陰の考えがここでも見てとれます。

その他の名言

【松陰の死生観】

「17、18の死が惜しければ、30の死も惜しい。80、90、100になってもこれで足りたということはない。半年と云う虫たちの命が短いとは思わないし、松や柏のように数百年の命が長いとも思わない。天地の悠久に比べれば、松柏も一時蠅なり。」

「牢獄で死ねば禍いのようだが、この場所で学問をし、己のため、他人の為に後世に伝えることを残し、身は失っても死にはしない人たちの仲間入りすることができるならば、この上もない福というもの。」

「死生は度外に置くべし。世人がどう是非を論じようと、迷う必要は無い。」

「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。」

「小生、獄に坐しても首を刎ねられても天地に恥じ申さねばそれにてよろしく候。」

【松陰の行動観】

「私心さえ除き去るならば、進むもよし退くもよし、出るもよし出ざるもよし。」

「みだりに人の師となるべからず。みだりに人を師とすべからず。」

「人間が生まれつき持っているところの良心の命令、道理上かくせねばならぬという当為当然の道、それはすべて実行するのである。」

「志定まれば、気盛んなり。」

「自ら顧みてなおくんば、千万人ともいえども我行かん」

「人を信ずることは、もちろん、遥かに人を疑うことに勝っている。」

「心甚だ急ぎ、飛ぶが如し、飛ぶが如し」

「父母を喜ばせるために妻を持ち、宮仕えするのもよいでしょう。但し、正論を通しなさい。ならば必ず放逐後退の時期が来る。その時に書を読み、心を練り、十年後の大事に備えるのです。」

【どうあるべきか】

「士たるものの貴ぶところは、徳であって才ではなく、行動であって学識ではない。」

「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。」

「賞誉されて忠孝に励む人は珍しくない。責罰されてもなお忠孝を尽す人物こそ、真の忠臣孝子である。武士たるものが覚悟すべきこと、実にこの一点にある。」

「ただ非常の人のみ即ちよく非常のことを為す。」

「人間はみななにほどかの純金を持って生まれている。聖人の純金もわれわれの純金も変わりはない。」

「汝は汝たり、我は我たり。」

【他人の意見に左右されない】

「末の世において道義を実践したならば、必ずその時の人々から極端だといわれるであろう。もしまた、世人から極端だといわれるくらいでなければ決して道義ではないのであって、すなわち世俗に同調し濁った世に迎合したものにすぎない。」

「命が惜しいか、腹が決まらぬか、学問が進んだか、忠孝の心が薄く成ったか、他人の評は何ともあれ、自然と決めた。」

「だいたいにおいて世間の毀誉というものは、あてにならぬものである。」

「世の人は善し悪しごとも言わば言へ。賤が心は神ぞ知るらん。」

【積み重ねの大切さ】

「大器を作るには急ぐべからずこと。」

「一日一字を記さば一年にして三百六十字を得、 一夜一時を怠らば、百歳の間三万六千時を失う。」

「宜しく先ず一事より一日より始むべし。」

「学問の上で大いに忌むべきことは、したり止めたりである。したり止めたりであっては、ついに成就することはない。」

「満開となれば、やがて花は落ちる。太陽は南中すれば、やがて陰りはじめる。人は壮年を迎えれば、やがて老いていく。百年の間、必死で勉強すべきであり、ゆったりとくつろぐ暇などない。」

「悔いるよりも、今日直ちに決意して、仕事を始め技術をためすべきである。何も着手に年齢の早い晩いは問題にならない。」

【松陰の国家・君主論】

「山は樹を以て茂り 国は人を以て盛なり」

「世に材なきを憂えず、その材を用いざるを患う。」

「君子は、理に合うか否かと考え行動する。小人は、利に成るか否かと考えて行動する。」

「権謀と申すは実は無策なれど策ある貌をし、直言極論はせざれども直論貌をすることなり。」

「一人の策を積みて一家の策を為し、一家の策を積みて一国の策を為し、一国の策を積みて天下の策を為す。御努力これ祈る。」

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