紫式部は藤原道長の愛人だった? 源氏物語に秘められたロマン

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源氏物語は紫式部によって書かれた世界最古の長編小説と言われています。概ね10世紀の平安朝の宮廷を舞台とし、帝と身分の低い妃との間に生まれた主人公光源氏の栄華と苦悩、子孫達の人生を描いた作品で、その総ボリュームは400字詰め原稿用紙で約2400枚(!?)に及ぶとか。

登場人物も多く、美貌と才覚に恵まれた光源氏と彼を巡る女性達の様々な恋の形が描かれています。

パソコンもプリンターも無い時代、それだけの大作を書き綴っていく紫式部の姿、出来たばかりの物語を我先にと書き写す宮中の女性達の姿を想像するだけでも『源氏物語』という作品の魅力と人気を感じ取る事が出来ます。

紫式部こと藤式部

そんな『源氏物語』を書いた作者は紫式部。この時代の女性としては珍しくもなく、生没年も本名も不詳(香子とする説もあるが信憑性はない)の彼女は越前守藤原為時の娘として生まれました。

一族には学問に秀でた人も多かったようで紫式部自身も幼少時から並外れた才能で漢文を読みこなすなど才女として知られていました。長徳4年(998年)頃藤原宣孝と結婚し、大弐三位と呼ばれる娘をもうけますが程なくして夫とは死別しています。

その後、寛弘2年頃より一条天皇の中宮彰子の女房として出仕し、『源氏物語』を記したのはこの宮中に仕えていた期間であったと言われています。

ちなみに彼女の女房名は藤式部であり、紫式部は後世の人が『源氏物語』にちなんでつけた名だそうです。一説によると、宮中で催された宴の席で酔った藤原公任という公達が「この辺に若紫は居られませんか」と声をかけたのを紫式部が(光源氏似の人もいないのに紫の上がいるわけないじゃない)と無視して以来呼ばれるようになったのだとも言われています。

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光源氏のモデルは藤原道長?

残念ながら藤原公任は光源氏には似ていない、と判断されてしまいました。では、光源氏のモデルは誰だったのか。これには諸説あって、河原左大臣と呼ばれた源融や左大臣源高明、光孝天皇、藤原道長など多くの人物が挙げられています。

現在では源融であったとする説が有力ですが、このモデル候補の中にどうしても見逃せない名前があります。藤原道長、そう紫式部の仕えた中宮彰子の父であり、当時の最高権力者です。

藤原道長は康保3年(966年)藤原兼家の5男として誕生しています。上には4人の兄がおり、そのままでいれば彼は気楽な上級貴族の御曹司で終わっていたでしょう。しかし兄達は相次いで亡くなり、一方三人の娘を天皇に嫁がせた道長は権力者の座へと上り詰めていきます。

その様子については『小佑記』に記された「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」(この世は私のためにあるようなものだ。満月がかけないように私の思うようにならないことは一つもない)という和歌が有名です。

一見傲慢その物に見えますが、彼自身はどうやら豪快で明け透けのない性格だったらしく、この和歌も偉大な兄をも凌ぐ権勢をやっと手に入れた道長のありのままの心境を素直に歌いあげたのでしょう。

一家三后、と言われるように道長の権勢を支えたのは彼の娘達でした。娘にはなんとしても中宮となり、次代の天皇となる皇子を生んでもらわなくてはなりません。その為に道長は娘を教育する為の優秀な女性を集めました。

美人なだけじゃなくてきちんと学も有って才気ある受け答えが出来る女性でないと天皇の心を掴めませんからね。そう考えると女性の教育と言う物は昔もしっかりと考えられていたのかもしれません。

特に彼の野望の足がかりとなった長女の彰子については熱心だったでしょう。彼女に仕える為に宮中に招いた特に優秀な才女、それが紫式部だったのです。

紫式部は道長の愛人だった?

彰子に最高の教育を!その為に招いた紫式部ですが、実は道長と紫式部は愛人関係だったという説があるのです。

その根拠としてあげられるのが『紫式部日記』に道長が紫式部の寝泊りしている渡殿の戸を一晩中叩いて「夜もすがら水鶏よりけになくなくぞ真木の戸口にたたきわびつる」(一晩中、水鶏にもまして泣く泣く真木の戸口を叩きながら嘆き明かしたのに)と和歌を残していたという一節です。

それに対しては紫式部も道長様相手に戸を開けていたら後悔していましたよ、とすげなく返しています。先の藤原公任とのやり取りもそうですが、彼女は男性からの艶っぽいアプローチはあまり得意ではなかったのかもしれません。

さらに一説によると『源氏物語』の執筆は道長の依頼で道長が彼女の局を訪れて物語の続きを催促していた、という逸話もあるようです。もしそうであればあまりにもしょっちゅう局にやってくる道長の姿に紫式部は道長様の愛人では……と噂を流す女房がいてもおかしくはありませんね。

しかし、たとえ二人の間に男女の仲がなかったとしても、紫式部にとって道長は自分の才能を存分に振るわせてくれるパトロンですし、道長にとっても紫式部は自慢の娘の自慢の女房だったですから互いになくてはならない存在だったでしょう。

また、おかたくて真面目な様子が端々から見える紫式部にとって、豪爽な道長が密かな憧れの対象になっていてもおかしくはないのでは……?とつい邪推もしてしまいます。

By: Jim G

まとめ

時の権力者と人気作家のスキャンダル。何せあれだけの恋愛長編を書いた作者です。

彼女自身の恋愛についても興味を掻き立てる対象になってしまうのは仕方もない事でしょう。

摂政様の行き過ぎたお戯れに時に困りながらも、ひっそり抱いた親愛の情が長い物語のどこかに紛れこんでいるかもしれません。

 

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投稿者プロフィール

歴史が好き!!の勢いで突っ走る歴史オタクのライターです。
その時代に生きた人々の文化や偉人達の人間味あふれるエピソードに興味津々。鎌倉や京都、全国の史跡を訪ねつつ温泉や美味しい物を楽しむのが何よりの幸せです。
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