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源義経と弁慶 橋上での運命の出会いをしたという伝説の真偽は?

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京の五条の橋の上 大の男の弁慶は 長い薙刀振り上げて 牛若めがけて切りかかる

牛若丸は飛び退いて 持った扇を投げつけて 来い来い来いと欄干の 上へあがって手を叩く

前やうしろや左右 ここと思えばまたあちら 燕のような早業に 鬼の弁慶あやまった

これは、唱歌『牛若丸』の歌詞です。

日本の昔ばなしにも『うしわかまる』という物語がありますね。稚児水干をまとい笛を吹きながら橋を渡る少年、そしてそれを狙う破戒僧姿の大男・・・。幼い頃、絵本で見た記憶がある人もいるかもしれません。

このお話は、後の源義経となる牛若丸と、その最期の時まで義経に仕えたという武蔵坊弁慶との、ドラマチックな出会いの場面を描いたものです。

数々の伝説を残す源義経と弁慶ですが、どこまでが真実なのでしょうか。

おとぎ話『牛若丸』にみる、二人の出会いの伝説

ここで、懐かしの絵本を思い出してみましょう。

幼い頃、父の源義朝を平治の乱での謀略で亡くした牛若丸(源義経)は11歳のとき、鞍馬寺に預けられました。当時は平家の力が盛りの世の中。成長した源氏の御曹司に謀反の疑いが掛れば大変と、僧になることを求められたのです。しかし、牛若丸は僧になるのを拒み、数年の後鞍馬寺を出奔しました。

そのころ、武蔵坊弁慶と名乗る乱暴な僧が京の都を騒がせていました。参道である五条大橋の上に陣取り、道を行く人々から刀を力ずくで奪って、それを1000本集めようとしているのです。ようやく999本が集まりました。ある月夜の晩、最後の一本に相応しい立派な刀を差した少年、牛若丸が笛を吹きながらやってきました。こんな子どもは一ひねり!と大きな薙刀で襲いかかった弁慶ですが、ひらりと躱され、反対に扇で額を打ちのめされてしまいました。

それもそのはず、鞍馬寺にいた数年の間、ひそかにカラス天狗に武術を授けられた牛若丸です。大男の弁慶だとて、身軽な牛若丸の敵ではありませんでした。

まだ幼い牛若丸に倒されたことで、すっかり心が入れ替わった弁慶は、牛若丸の素性が平家を滅ぼし一族再興を志す源氏の若君だと聞き、一生の家来となりました。

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運命のふたりが出会う、五条の橋ってどこ?

現在も京都、鴨川に架かる「五条大橋」は、源義経と弁慶が出会ったとされる場所。躍動感あふれる二人の石像が飾られていて、観光スポットともなっています。

しかし、この位置が「五条大橋」として決まったのは、1590年(天正18年)のことで、当時の権力者であった豊臣秀吉が東山大仏を造営するために、現在の場所に橋を移したとされています。

現在の五条大橋よりも北にある、「松原橋」が平安当時の「五条大橋」であるとされています。

義経が活躍する軍記物語『義経記』によると、二人が出会ったのは京都の堀川小路から清水寺までとされ、ほかにも対決は清水観音の境内とされる説、松原西洞院近くの五条天神社とされる説など、さまざまな説があるためはっきりとしません。

じつは「橋で出会った」と明記されている史料は、まだ見つかっていないのです。ではなぜ、私たちがイメージする二人の出会いは、橋の上なのでしょうか。

時代は明治、おとぎ話作家巌谷小波が「日本昔噺」という童話シリーズを刊行し、大ヒットとなりました。現在私たちが知る、うらしま太郎や花さか爺さんなど、昔ばなしの多くはこのシリーズによるものです。

冒頭の、唱歌『牛若丸』も、それがもとに作られました。

義経と弁慶が「京の五条の橋の上」で出会ったとされるのは、じつは明治以降だったのです。

橋というのは、あちらとこちら、彼岸と此岸とをむすぶ境界のようなもの。

五条の橋は今も昔も清水寺への参道の途中にあります。寺社はかつての埋葬地の名残とされていることを鑑みると、歴史の渦に巻き込まれた運命の二人が橋の上で出会うのは、何のメタファー(暗喩)だったのでしょうか。

伝説に真実味を添える、『判官びいき』

義経と弁慶、ふたりの出会いの伝説は、史実として残ってはいないのに、日本人の誰もが知るほど有名な話になっているのはどうしてでしょう。もちろん前述の明治時代の「日本昔噺」のヒットも理由の一つですが、それだけではありません。

唱歌やおとぎ話を読んでみると、橋の欄干の上を天狗仕込みの軽やさで飛びまわり、弁慶を翻弄する牛若丸の様子が描かれています。

完全なるファンタジーとは思えないけれど、ドキュメンタリーでもない。これを伝記として見るならば、ツッコミどころは満載ですが、牛若丸の『物語』においては、はっきり言って真偽なんてどうでもよかったのです。

源義経という人物の、数奇な人生と壮絶な最期は、多くの人の心を打ちました。素晴らしい武勲をあげたのに、兄に妬まれ追い詰められ、最期には妻子と共に自刃して果てたという源義経の話は、日本人の持つ同情心を大いに刺激しました。

「たとえ事実ではなくても、あの義経の可哀想な最期を思えば、せめてそれまでの人生はもっと活躍させてあげてもいいじゃないか!」という想いが、有名な『判官びいき』のベース思想です。

義経と弁慶の伝説も、後世の人が「こうであってほしい」と判官びいきたっぷりで作り上げたものなのかもしれません。

北村美佳子

投稿者プロフィール

いにしえに想いを馳せて、一人涙し、一人ニヤつく。そんな日本史をこよなく愛するライター。重度の活字中毒でもある。愛読書は梅原猛氏の本。
日本史が好き過ぎて、記事を書きながら悶絶することも多々あるけれど、いくつになっても好きなものは好きだと言える女でいたい、そう願って邁進中であります。

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