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武蔵法弁慶は実在しなかった? その伝説の成り立ちを追う

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武蔵坊弁慶を語る時、悲劇の英雄「源義経」を引き合いに出さない訳には行きません。

二人が出会う伝説はおとぎばなし『牛若丸』に見ることができますし、私たちにはなんとなく、義経と弁慶二人はセットなイメージがあるものです。

ですので、まずは義経との関係性から、ひも解いてみることにしましょう。

悲劇のヒーロー像としての義経

史実を伝えるものとして、歴史書というものがありますが、これが実に定義の難しいものです。

そして、いつの時代も記録に人の手が加わることで、(たとえそれが恣意的でも無意識でも)事実は少しずつ「主観」という歪曲がなされます。

源義経という人物について書かれている史料は、「吾妻鏡」「義経記」「平家物語」「玉葉」といろいろありますが、誰がどの視点にで書いたかによって、義経の人物像とそれを取り巻く人と時代の流れが、少しずつ変わっていきます。

幕府が編纂したとされている「吾妻鏡」は、鎌倉幕府を拓いた源頼朝を弟(義経)を追い詰めた冷たい人物として書いています。

これは、編纂にかかわったのが幕府中枢の北条氏で、己の一族の正当性を強調するためだと言われていますが、結果的にはこれにより、「一族のために武功を立てたのに、強いからってお兄さんに疎まれて殺されて、義経って可哀想!!」という『判官びいき』を生みました。

また、源義経の一生を描いたとされる「義経記」という軍記物語は、義経の死後200年もたってから書かれたものでした。

ですので、悲劇の英雄譚を盛り上げる演出がなされているとみても良いでしょう。

江戸時代に盛んになった猿楽や歌舞伎で「判官もの」という人気ジャンルができ、それに伴って義経の容姿や弁慶との主従の逸話も美化されていきました。

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弁慶は一人じゃない??

一方、弁慶という一人の人物を巡って、その信憑性を問う研究もあります。

都落ちした義経を庇護したのは、巷で乱暴者とされていた比叡山の僧兵たちだったとする資料があります。

中には奥州平泉まで付き従ったと言われ弁慶のモデルとなった僧兵がいたことも最近の研究で分かって来ています。

彼らの所業が様々混ざって、「武蔵坊弁慶」という人物が生まれたのだとすると、それが生まれた背景というのがあるはずです。

次はその背景を考えてみましょう。

『忠臣』のモデルケースとしての弁慶

おとぎ話では、破戒僧のような描かれ方をされる弁慶ですが、そのほかのエピソードや伝説での特徴はどうなっているのでしょうか。主な例をあげてみましょう。

  • 母親の胎内に18か月(または三年)いて、生まれた時には歯が生えていて、鬼の子と思われて殺されそうになった
  • 身長195cm、体重120kgと、巨漢であった
  • 岩でお手玉をする、比叡山から投げたとされる石が京都にある、鉄の下駄をはいていた等、とにかく怪力の持ち主である
  • 乱暴者過ぎて、修行場所の比叡山から追い出された。そのまま四国、播磨と移動。そこでも乱暴を働き書写山圓教寺に火をつけたりしている

どれも大袈裟で、現代の感覚では考えられないような特徴が多いですね。

しかし、これらには重大なには意味があります。義経と出会ってからの弁慶の変わりよう、その「忠臣ぶり」をより強調する装置となっているのです。

出会う前の弁慶が悪ければ悪いほど、その改心ぶりは人々の心を打ちます。こうしてそのまま、そんな弁慶を改心させ忠誠を誓われるほどの「義経ってすごい!」に繋がって行くのです。

弁慶や義経がいた平安末期、それ以降は武力にモノを言わせた政治文化が長く続きます。

そんな世をけん引していく野心を持った人たちは、義経のようなリーダーよりも、弁慶のような『忠臣』を欲しがりました。義経をかばって立ったまま往生したという弁慶の話は、美談として語り継がれ、やがて大きな道徳観念が生まれます。

独特の生死感、力を持つ者の矜持、情けの心、忠誠の心。いわゆる、『武士道』です。

主に尽くす家臣とはこうあるべき、と望まれた理想像が『武蔵坊弁慶』だったのではないでしょうか。

北村美佳子

投稿者プロフィール

いにしえに想いを馳せて、一人涙し、一人ニヤつく。そんな日本史をこよなく愛するライター。重度の活字中毒でもある。愛読書は梅原猛氏の本。
日本史が好き過ぎて、記事を書きながら悶絶することも多々あるけれど、いくつになっても好きなものは好きだと言える女でいたい、そう願って邁進中であります。

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