本多忠勝は身長も大きかった!?

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戦国時代が日本史の中でも大人気の時代ということもあり、戦国時代を舞台にしたゲームも多くリリースされていますよね。

その中で戦国最強の武将ともいわれる本多忠勝は大柄な人物として描かれる事がおおいですが、本当のところはどうだったのでしょうか。

その実像に迫ってみます。

本多忠勝とは

本多忠勝は徳川家康に幼いときから仕え、酒井忠次・榊原康政・井伊直政と並び、徳川四天王と評される徳川家康の重臣です。

武勇に優れていたというイメージが強い武将ですが、12歳で初陣をし、14歳のときには初めて首を獲ったという記録が残っています。

その後も家康が戦った大きな戦には必ずといっていいほど忠勝の姿があり、家康の天下取りは忠勝の力によるものも大きかったと思われます。

また、その生涯で参戦した戦は57回と記録されていますが、かすり傷一つ負わなかったということで徳川家中でも軍神と崇められていたようです。

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愛槍『蜻蛉切』

ゲームでもお馴染みですが、本多忠勝といえば『蜻蛉切』という槍を愛槍としており、槍の使い手といわれています。

この『蜻蛉切』は刃の長さが43.8cmもあるもので、柄の長さが通常の物が約4.5mだったのに対して、柄が6mもあったといわれています。

現存しているわけではないので、実際のサイズは確かではありませんが、この話からしても当時の平均身長より大きかったのではないかと武器からは想像出来ますね。

実際の身長は?

ゲームでは2m10cmというめちゃくちゃなサイズで描かれていますが、実は小さいのではないかと言われており、156cmや140cm台などといわれています。

戦国時代の男性の平均身長は150cm台半ばといわれていますので、本多忠勝の実際の身長はゲームで描かれているような姿ではなく、平均的な人だったのかもしれません。

 

身長は分からない?

徳川の歴代将軍は遺骨の調査から、おおよそどれくらいの身長だったというのが現在分かっていますが、本多忠勝に関しても遺骨調査が行われるような事があれば、どれくらいの身長だったか分かる日がくるかもしれません。

また、当時着けていたと言われている黒糸威胴丸具足という甲冑ですが、こちらは胴高が39cm、胴廻が122.5cmとわかっています。

この甲冑から、推定してみると、伊達政宗は遺骨調査で身長が159.4cmと分かっており、伊達政宗が着けていたと言われている黒漆五枚胴具足の胴高が38cmとされています。

整理してみると、以下のような感じになります。

身長 鎧の胴高
本多忠勝 39cm
伊達政宗 159.4cm(遺骨より) 38cm

単純に比率で計算した結果ですが、本多忠勝は163.5cmくらいだったのではないでしょうか。

ゲームのイメージとは完全に違いそうですね。

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