北条氏政は何故、切腹を命じられたのか? そこに隠された秀吉の思惑とは

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小田原征伐を受け、敗北を悟った北条家の5代当主:北条氏直は自分が腹を切るので将兵の命は助けてやって欲しいと秀吉に嘆願します。

しかし、合戦後実際に切腹を命じられたのは氏直ではなく、すでに当主の座を退いていた父の北条氏政でした。

彼はなぜ切腹を命じられなければならなかったのでしょうか。

そこには秀吉の思惑が見隠れしています。それを探ってみましょう。

北条氏に下された厳しい処罰

北条氏直の投降によって終わりを告げた小田原征伐。

この際に徳川家康が娘婿である氏直と共に氏政の助命も願い出ています。

そもそも、北条氏が降伏する際、最初に出された条件では氏直の上洛と武蔵、相模、伊豆だけは所領として残してやろうという物だったのですから、領地を減らして弱体化させるに留めて置けば良いのではというのが家康の考えでもあったのでしょう。

実際に四国の長宗我部氏や九州の島津氏も秀吉に抵抗した勢力ですが、領地の全てを取り上げられるといった処分は免れていました。

しかし、氏政と弟の氏照は切腹。氏直を高野山に追放するといった厳しい処分が決まります。

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氏政、氏照兄弟の最期

北条氏政に命じられた切腹という処罰。それは北条氏の討伐を招いた責任者だったからと言われています。

しかし、小田原征伐が起こった年にはもう既に北条氏の当主は氏直に譲っていますからなんだかおかしな話です。

当主の氏直を切腹させたのでは流石に家康の反感を買う。

それならば、父の氏政を責任者にしてしまおうという魂胆があったのだと思います。氏政だけではなく、小田原城で篭城の指揮を取り、北条氏の軍事面を支え続けた弟の北条氏照、重臣の松田憲秀、大道寺政繁にも切腹が命じられました。

天正18年(1590年)7月11日、合戦の責任を負わされた氏政、氏照兄弟は医者の田村安栖の宿所で切腹します。関東の支配者として名を轟かせた北条氏の当主としては侘しい最期でした。

この時、氏照は悔しさの余り自分の腸を引きずり出して投げつけたとも言われています。介錯をしたのは二人の弟である北条氏規。北条氏の兄弟仲の良さは後世にも伝えられており、敬愛する兄達を手にかけなければいけなかった事は氏規にとってなんと辛く悲しい役目だったのでしょう。

兄達が自刃を遂げるとそのまま自分も切腹しようとしますが、豊臣の検視役によって止められています。北条氏直が徳川家康の娘婿であったように、氏規にも家康との縁がありました。

氏規が幼い頃、今川氏の人質として駿府に預けられていた頃、徳川家康も駿府で人質として暮らしていたのです。つまり、二人は幼馴染と言った所でしょうか。家康の娘婿の氏直同様、幼馴染の氏規も死なせる訳にはいかない。それは家康への気遣いというよりもむしろ家康を恐れての行動のように思えます。

氏政は切腹を命じられたのか理由

小田原征伐は秀吉の天下統一の総仕上げとも言われています。それまでの長宗我部氏や島津氏の制定は天下統一の途中であった為、滅ぼしてしまう事はできませんでした。

しかし、天下を前にして秀吉はまだ不穏な動きを見せる関東や伊達政宗ら東北の勢力にも声高に主張してみせたのです。逆らう者は容赦なく滅ぼしてしまうぞと。

それだけの力があれば、負かした相手に所領を与えて飼いならす必要もありません。北条氏への処分はそれを突きつける為に必要だったのでしょう。

ただし、それでも見え隠れする家康への遠慮によって隠居の身の氏政は犠牲になったのでしょう。

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先祖と息子と共にある早雲寺の供養塔

北条氏政の首塚は静岡県富士市の源立寺にあり、墓所は神奈川県の小田原市内と箱根町に存在しています。

箱根町の早雲寺は北条氏ゆかりの寺で、江戸時代に入ってから生き残った氏規の子孫である北条氏治が氏政と氏直の供養塔を立てました。

北条氏を滅ぼしたという罪を背負わされた氏政はどんな気持ちでそこに眠っているのでしょう。

家族を大事にしたと言われている彼ですから、もしかしたら自分が身代わりになる事で氏直に汚名が着せられなかった事にほっとしているかもしれません。

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投稿者プロフィール

歴史が好き!!の勢いで突っ走る歴史オタクのライターです。
その時代に生きた人々の文化や偉人達の人間味あふれるエピソードに興味津々。鎌倉や京都、全国の史跡を訪ねつつ温泉や美味しい物を楽しむのが何よりの幸せです。
歴史のオモシロ話を読みやすい文章でお届けできるように頑張ります。

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