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殉死した乃木希典に対する海外の反応とは

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乃木希典は親しみをこめて「乃木大将」「乃木将軍」と呼ばれています。まずは、どの様な人物だったのか略歴から見てみましょう。

嘉永2年、長州藩士乃木希次の三男として誕生。戊辰戦争や西南戦争にも出征しました。西南戦争では西郷軍に連隊旗を奪われこの一件は、生涯乃木を苦しめたといわれています。

その後、日清・日露の戦争にも出征。日露戦争では、難攻不落といわれた旅順を総攻撃し、203高地を占領することに成功しました。晩年は昭和天皇の教育にも関わり学習院学長を勤めています。

大正元年、明治天皇の大葬当日の午後、妻静子とともに殉死。

国内の反応

国内の新聞の多くは乃木の行為を好意的に受け止められていました。新渡戸稲造や西田幾多郎なども、この武士道的精神を賛同しています。

夏目漱石は小説「こころ」を著しています。

しかしその反面、殉死は封建制の遺習であり時代遅れであるとの見解もありました。東京朝日新聞や信濃毎日新聞は批判的な見解を示しました。

乃木を好ましく思うものは多く、殉死を否定的に報じた新聞は、不買運動や脅迫もあったようです。国内ではたくさんの乃木神社が建立されました。

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海外の反応

日露戦争の時から諸外国でも乃木の用兵が紹介され高く評価され日本の名将と言われています。ロシアのステッセルと乃木が、水師営の会見で敗者のロシアに対して優しい心遣いをしたことは戦前の教科書にも載せられた程でした。

敵国ロシアの雑誌に乃木の挿絵がされたり、ドイツ・フランス・イギリス各国から勲章が授与されています。

ロシアに勝利した日本は、ロシアに攻められて苦しんでいたオスマン帝国でも歓迎されました。乃木はオスマン帝国でも高い評価をうけています。我が子に乃木の名前を付ける人まで現れました。

海外でも、生前から高く評価されている乃木の殉死を、海外はどう受け止め報道したのでしょうか?

乃木の訃報は、日本国内はもちろん、アメリカや欧米の新聞の多くに報道されました。乃木大将の死は海外メディアも肯定的でした。

ニューヨーク・タイムズの日露戦争の従軍記者リチャード・バリーによって大きく取り上げられ、伝記や乃木が詠んだ漢詩が紹介されてました。

日露戦役に第3軍の従軍記者をしていたスタンレー・ウォシュバンは乃木を讃え「乃木大将と日本人」を著しています。

各国の報道機関は乃木を日本の名将として紹介しています。

名将と謳われている乃木ですが、作家司馬遼太郎は乃木をとして描いています。どこを評価して名将とするのか、負けが1つでもあれば愚将となってしまうのか、貴方はどう思いますか?

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