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ブーゲンビルで撃墜された山本五十六の最後とは

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山本五十六は、太平洋戦争で真珠湾攻撃やミッドウェー海戦を指揮した有能な指揮官として、数々の名言を残していることでも有名な軍人です。

第26、27代連合艦隊司令長官を勤め、のち元帥海軍大将となる人物です。

山本五十六の死は戦意に大きく影響が出ることを心配し、1ヶ月以上秘密にされました。また戦前初の皇族や華族出身でない者が国葬にされたのです。

山本五十六の死について公表されている最後の状況は、4月18日午ソロモン諸島ブーゲンビル島上空で戦死したとされています。しかし、山本五十六の死について色々な説が囁かれています。まず、状況からみていきましょう。

状況

1943年4月、ガダルカナル島方面に攻撃を行った「い」号作戦に関連し南方の前線視察へ行きます。その頃すでに、アメリカ軍は日本の暗号を解読しており、山本五十六に照準を絞って暗殺を計画していました。

4月18日午前6時、陸上攻撃機2機を使い、山本五十六は1号機に宇垣参謀長は2号機に分乗しました。護衛は零式艦上戦闘機6機のみでブイン基地へ移動。その途中のブーゲンビル島上空で、アメリカ陸軍航空隊P-38ライトニングに襲撃されモイラ岬のジャングルに墜落しました。2号機も被弾炎上。海上に不時着しました。

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機密保持と護衛の不首尾

アメリカは暗号解読に成功していたことを知られないようにしていました。しかし、日本側は数週間前に暗号は変更していて暗号を解読されているとは思っていなかったのです。その上、山本長官の行動を知らせる長い電文を前線に送ってしまうのです。

他方、山本長官の護衛機が少ないことを危惧し、護衛機を50機増やす様に伝言を託したが宇垣参謀長に伝わりませんでした。

死因

1号機に乗って山本長官以下11名は全員死亡。2号機の宇垣参謀長ら3名は負傷したが不時着後に救助されました。

軍医の検死記録を参考にすると、死因はこめかみから下顎を貫通しほぼ即死状態であったと推察されます。しかし、銃撃してきたアメリカの戦闘機に搭載されている機銃は、12.7mm4門・20mm1門のみ。もし検死記録通りであればこの機銃であれば頭半分を吹き飛ばす程の威力となるはずなのです。

この傷跡からすると小口径の銃弾の可能性が出てきます。そうなると死因はアメリカの戦闘機ではなく、自決説、射殺説が浮上してくるのです。

By: Cliff

遺体発見時の様子

  • 機体の側にあった座席に座り、軍刀を握り締め座ったまま死んでいた。
  • 右前頭部に擦過傷はあるが他は大した傷はなかった
  • 顔面に銃創がなかった

当時の発見時の話もまちまちである。

また、検死を行った軍医は後方で検死をし、現場を見ていなかった。また引継ぎもなかったということです。

座ったまま死亡したと考えると、全身打撲や内臓破裂などが原因とも考えられます。

即死ではない?

熱帯地方の場合亡くなると死体にウジがわくはずなのに、ウジ虫を発見したという報告がないので死亡時刻は19日以降と推測する見方も出てきます。

諸説ある中で、陸軍と海軍の軋轢が原因と推察する人もあるようです。

どれが本当なのでしょうか?あなたはどう思いますか?

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