日本が太平洋戦争に突入した原因とは

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1941年(昭和16年)12月8日、日本の真珠湾攻撃から始まった日本とアメリカ、イギリス、オランダなどの連合国との戦いの一端を太平洋戦争といいます。

第二次世界大戦の末期、沖縄戦や原爆の投下など日本に深い傷痕を残しました。なぜ日本はこの様に悲惨な戦争に突入したのでしょうか?

まず戦争に突入する遠因となった時代背景からみていきまょう。

時代背景

アメリカ、イギリス、フランスなどの列強国はアジアに向けて植民地を増やし、広げようとしていました。

一方、日本も明治時代以降、富国強兵政策をとり外国に資源を求めて侵出。その結果、日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦を経て、日本も朝鮮や中国の一部を統治するようになっていったのです。

1929年世界恐慌の影響を受け昭和恐慌がおこります。大きな社会問題にまで発展する大不況となり、日本は中国に侵略していきます。

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引き金となった日中戦争

1931年、南満州鉄道の線路を爆破し中国軍を犯人に仕立て上げた柳条湖事件を発端に満州事変を起こします。そして、周囲の都市部を占領。

翌年、日本は中国の東北部を制圧し満州国を建国します。中国は国際連盟に日本に侵略されたと訴え、国際連盟はリットン調査団を派遣。その結果を不服とした日本は、国際連盟を脱退。日本と中国の緊張が高まっていました。

1937年7月7日。北京の西南にある盧溝橋で中国軍と日本軍が衝突。この盧溝橋事件が発端となり日中戦争が始まります。長引くこの戦いは日本の力を衰退させていくのです。

孤立する日本

ヨーロッパ各地の征服に成功していたドイツの勢いに刺激され、ナチスのような一国一党の新体制運動を開始し、1940年日独伊三国同盟を締結します。

同じ頃、ソ連との間に日ソ中立条約を締結。これにより日米交渉を有利に進めようと考えていましたが、同年6月ドイツがソ連に侵攻。このため外交は混乱します。

イギリスを支援するアメリカは不快感を示し、経済制裁として対日石油禁輸と日本人資産凍結を決定。イギリス、オランダもこれに同調しABCD包囲陣を完成させ日本は経済的に封鎖されたのです。

日米交渉決裂

アメリカの経済制裁を受けて、軍部は即時開戦を主張。しかし、時の総理大臣東条英機は天皇が平和を望んでいると知り開戦回避を検討。日米交渉を続行します。

しかし、アメリカ国務長官ハルが「ハル・ノート」が提示。

その内容は、三国同盟の廃棄、中国からの日本軍の撤退、満州事変以前の状態への復帰を要求するもので、到底日本が受け入れられるものではありませんでした。

このハル・ノートが事実上の最後通牒となり、日本に開戦を決意させたきっかけと言われています。

太平洋戦争の直前の出来事を中心に原因を考えてみましたが、この戦いだけを見るのではなく、明治維新からの列強との不条理な条約など、様々なものが重なってこの戦争に発展しています。ぜひ歴史を遡って貴方の目線で原因を探ってみて下さい。

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