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戦艦武蔵と大和の違いはどこら辺?

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先日、マイクロソフトの共同創業者であるポール・アレン氏がフィリピンのシブヤン海で戦艦武蔵を発見したことがニュースをにぎわせました。

武蔵というのはどのような戦艦なのでしょうか?

戦艦大和の同型艦

武蔵は大日本帝国海軍が建造した最後の戦艦であり、戦艦大和と同型のためその姿はほとんど同じです。

今回発見された戦艦が「武蔵」であると断定されたのも、動画の中に写っていた15メートル測距儀が大和と武蔵にしか搭載されていなかったことによります。

大和は鹿児島県沖に沈没していることがわかっていますから、フィリピンで発見された戦艦が大和なはずはなく、武蔵であると断定されたのです。

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武蔵と大和の違い

では武蔵と大和との間にはどのような違いがあるのでしょうか。

  1. 造船所 大和が呉工廠で造られたのに対し、武蔵は三菱長崎造船所で造られています。
  2. 装備 ほぼ同じです。ただ一点、大和にはない機銃25mm3連装(盾なし)が武蔵には4門搭載されている点が異なります。その後の改装で、副砲である15.5㎝砲が大和の2倍の12門、高角砲である12.7㎝砲が大和の半数の12門を搭載することになっています。
  3. 見た目 ほぼ同じです。艦橋についたタラップの折り返しの数が違うということが一般にいわれています。
  4. 内装 武蔵は司令部施設の増強や艦橋作戦室、信号指揮所、信号所、通信指揮室の改正などが実施されたため、旗艦としての使い勝手がよかったといわれています。また、三菱長崎造船所は豪華客船建造の実績があるため、大和よりも調度品がよかったという証言もあるそうです。

極秘の中での建造

武蔵の建造が始まったのは、1937年のことです。

第一次世界大戦の反省による軍縮路線が1936年のロンドン海軍軍縮条約失効により終焉を迎えた後のことでした。

武蔵の建造を極秘とし、その姿を知られないために様々な方法が取られました。

船体を隠すために「棕櫚(しゅろ)」という本来漁業に使われるものが周囲に張り巡らされ、その異様さから付近の住民たちは建造中の船体を「オバケ」「魔物」と呼んでいたといわれています。また、極秘に買い占めたため、警察が買占め事件として捜査を行ったともいわれており、警察にさえ秘密にして行われたことがわかります。

他にも、対岸にある米英の領事館から見えないようにするため倉庫を建造したり、住民が造船所を覗くことも禁止され、造船所が見渡せるグラバー邸を買い取ったりという徹底ぶりでした。

進水当日も船体が露見するため、「防空演習」として付近住民の外出を禁止し、さらに進水式に出席した皇族も、私服で入り、その後軍服に着替えたといいます。

多くの困難を乗り越えての建造であったため、無事進水すると涙する関係者もいたそうです。

しかし時代はすでに航空機が主となっており、武蔵も特に華々しい戦歴を送ることなく、建造開始から7年後フィリピン沖にて沈没することになりました。

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