本能寺の変の黒幕は秀吉?

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天正10年(1582)5月29日、信長は小姓衆150騎というわずかな手勢で上洛し、本能寺に入りました。その頃、光秀は、亀山で中国攻めの出陣準備を進めていました。ところが、突然中国攻めの軍勢を「信長へお目に懸ける」ため京都方面へ向けることを通達。そして6月2日、寝込みを襲われた信長は脱出を諦め炎の中で自害、49年の生涯を閉じたといわれています。

この本能寺の変については、多くの謎がつきまとい、未だにその原因も動機も不明です。信長の遺骸が見つからなかったため、信長生存説まであるくらいなので、変が成功したかどうかすらはっきりとはしないのです。

そしてこの光秀主犯というのも一つの説とされ、多くの黒幕説が挙げられてきました。「朝廷黒幕説」「毛利輝元黒幕説」「徳川家康黒幕説」「足利義昭黒幕説」。他にも「宣教師黒幕説」や「堺の町衆黒幕説」「高野山黒幕説」なんていうのもあります。

こうした諸説の中で、ここでは「秀吉黒幕説」について考えてみたいと思います。

秀吉の鮮やかすぎる中国大返し

本能寺の変のとき、秀吉は備中高松城で水攻めを繰り広げていました。しかし、6月3日夜、長谷川宗仁が光秀謀反の一報を伝えると、毛利方との和睦交渉に入り講和条約を締結。その後わずか一日で姫路城までの70kmの距離を撤収、6月13日に摂津(現在の大阪)と山城(現在の京都)の堺に位置する山崎で光秀の軍勢と激突しています。その鮮やかすぎる中国大返しには多くの疑惑が持たれてきました。

この中国大返し成功の背景には、次のような事情があったといわれています。

1.毛利方が本能寺の変の一報を受けたのは5日のことで、3日の時点では知らなかった

毛利氏は当時交渉中であった講和の条件を秀吉が大幅に譲歩したことから、すぐさまこれを受諾して和議をまとめました。

秀吉は譲歩の理由として「実は上方から火急の知らせで右大将様(信長)が自らご出馬なさると言ってきた。そうなれば私たちに先陣の功はなく、お叱りを受ければ面目を失ってしまう。そちらとしても右大将様が陣頭にたてば勝ち目はなくなります。由緒ある毛利家を存続させるためにも、早急に和議をまとめ、お互いの利益をはかろうではないですか」と述べたといいます。

ところがその直後、毛利氏は本能寺の変の一報を受け、信長の出馬がないことを知ったのです。

2.秀吉軍を追撃する余地がなかった

追撃しようにも、陸路は撤退にあたり決壊させた水攻めの堤防の水が障害となり、備前の宇喜田軍に行く手を阻まれ、海路は頼りの三島村上氏が分裂、利用できる水軍は直属水軍と因島村上氏の船のみでした。また、毛利家重臣の中でも謀反の兆しが現れたともいわれています。

3.秀吉に恩を売ろうとした

そうした状況の中でも吉川元春は秀吉追撃を主張します。しかし、小早川隆景がこれをなだめ、「たとえ騙されて結んだ講和だとしても、それを守るのが毛利の家風」として断念させ、以後の領土交渉を有利に進めたとされています。

やはりいつの時代も情報を制した者が天下を制するということを示しているのかもしれません。

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その後、秀吉が天下統一

中国大返しに成功した秀吉は、摂津(現在の大阪)と山城(現在の京都)との堺にある山崎で光秀軍と激突します。「主君信長の弔い合戦」という大義名分を有し、迅速な行動で主導権を握り、多くの武将を集めた秀吉に対し、「主殺し」という負い目から頼みとした細川忠興・筒井順慶らの支援も得られなかった光秀は、結果秀吉軍に敗北。敗走の途中で土民の手にかかり殺されてしまいました。

その後開かれた清州会議により、織田家筆頭家老の柴田勝家をしのぐ発言権、さらには領地をも得た秀吉は、天正13年(1585)に関白に任命、さらに翌年に太政大臣となり、天正18年(1590)の小田原攻めにより天下統一を達成することになるのです。

By: hkflc

すべての真実は闇の中

信長が死んで最も得をした男、秀吉。事件の容疑者としては最も疑わしい人物といわれても仕方ないのかもしれません。もし違う人物が黒幕で天下を狙っていたのだとしたら、さぞ悔しがっていることでしょう。

しかし、結論としていえるのは、本能寺の変に黒幕はいたかもしれないし、いなかったかもしれない、ということだけで、確かに言えるのは、信長にはそれだけ多くの敵がいたということと、光秀のクーデターが本当に秘密裏に行われたということの二点だけなのです。

すべての真実が本能寺とともに燃えてしまった今、当時を想像し思いを馳せることしかできないのかもしれません。

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