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豊臣秀吉の子孫は実在していた!? 明治時代まで存続していたという話に迫る!

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夢や憧れ、歴史のロマンが詰まった戦国武将という存在。実は自分はあの戦国武将の子孫だ、なんて言うと「えー!?」と驚かれるかもしれません。

しかし、スポーツ選手で言えばスケートの織田信長の子孫にあたる織田信成選手、芸能界で言えば蜂須賀小六の子孫にあたる釈由美子……ぱっと名前が上がるのだから、実は戦国武将の子孫という人は意外と多いのでしょうか。

ですが、中には例外もあって、子孫が残っていないと言われている戦国武将が存在します。

その名は豊臣秀吉。農民から立身出世して太閤にまで上り詰めた秀吉ですが、子宝には恵まれず、やっともうけた跡取りである秀頼の血筋も大阪夏の陣で途絶えてしまいました。

しかしながら、実は秀吉の子孫にあたる人物は存在し、明治時代まで続いたのだそうです。

今回は大阪夏の陣に隠された秘密に迫ってみたいと思います。

秀吉の子供:豊臣秀頼と孫達

自分の身一つで天下人まで上り詰めた天下人、豊臣秀吉の悩みが50を過ぎても子宝に恵まれなかった事というのは有名です。正室であるねねの他、十数人にも及ぶ側室を抱えた秀吉が待望の跡継ぎである秀頼をもうけたのは57歳の高齢でした。

母親は浅井長政と信長の妹、市との間に生まれた淀殿。戦国の波乱を生き抜いた浅井三姉妹の長女です。秀吉の喜びは言うまでもなく、大切に育てられた秀頼は、慶長3年(1598年)に秀吉が亡くなると家督を継ぎました。

しかし、秀吉の死後影響力を強めた人物がいます。「鳴くまで待とう」とじっと自分の天下を待っていた五大老の一人、徳川家康です。

家康は関ヶ原の戦いで石田三成を敗り、慶長8年(1603年)徳川幕府を開きます。このままでは徳川に天下を奪われると案じた淀殿は秀吉の生前に結ばれた婚約を早めさせ、徳川秀忠の娘千姫を秀頼の妻に迎えました。

この時秀頼は11歳、千姫は7歳。夫婦と言っても子供同士ですが、幼い千姫にとって彼は初恋の人でもあったのかもしれません。夫婦仲はたいそう良かったそうです。

しかし、慶長19年(1614年)に方広寺鐘銘事件が起こります。これは家康からのいちゃもんとも言えるような事件で、結局これをきっかけに豊臣と徳川の戦、大阪冬の陣が勃発します。

次いで大阪夏の陣に至って、追い詰められた秀頼は母:淀殿と共に自害しました。享年は23歳。

秀頼は正室の千姫との間には子供はいませんでしたが、側室との間に国松と奈阿姫という子供達をもうけていました。

千姫は優しく、秀頼のことも愛していたのでしょう。奈阿姫を養子として命を助けました。しかし、男子である国松は処刑されてしまいます。

幼い奈阿姫は出家し天秀尼として生涯を終えました。その寺が縁切寺として有名な鎌倉の東慶寺です。

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国松は真田幸村の手によって、九州に落ち延びた!?

こうして豊臣の血筋は途絶えてしまったかに思えますが、実は国松が生き延びたという説があります。

ねねの兄である木下家定の三男、木下延俊を初代とする旧日出藩(現在の大分県)木下家には「国松は薩摩に落ち延び、後に木下延由となった」という一子相伝の伝承があるといいます。

しかも、鹿児島市谷山地区の木之下の集落には国松の父:秀頼の墓もあるとか。

なんでも延俊が陣取っていた備中島には大阪城に繋がる抜け道があり、それを使って国松は真田信繁の子:真田幸昌と共に逃げ延び、後に旧日出藩藩主木下延俊の死後領地を分け与えられて立石藩主延由と改名し、羽柴姓を名乗ったそうです。

この羽柴家は明治まで続いたとされています。

伝承を伝えるのは木下家19代当主木下崇俊氏。言い伝えが本当であれば、秀吉の子孫は少なくても明治まではいた事になります。

まとめ

大阪城から備中島への抜け道ははたして存在していたのか。国松は本当に落ち延びる事ができたのか。

真実を知る方法はありませんが、秀頼が自刃したとされるのはわずか23歳。国松の処刑も8歳。

天下人の子というだけで若い命を散らした悲劇の若者が生きていたらと想像したくなってしまうのは人情かもしれませんね。

Mana

投稿者プロフィール

歴史が好き!!の勢いで突っ走る歴史オタクのライターです。
その時代に生きた人々の文化や偉人達の人間味あふれるエピソードに興味津々。鎌倉や京都、全国の史跡を訪ねつつ温泉や美味しい物を楽しむのが何よりの幸せです。
歴史のオモシロ話を読みやすい文章でお届けできるように頑張ります。

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