徳川慶喜の趣味の写真撮影 その腕前は?

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江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜。在位わずか1年で幕府を崩壊させてしまいますが、勝海舟らの交渉で死罪をまぬがれ、明治・大正の世を生きました。

そんな慶喜は、潤沢な隠居手当を元に明治に入って多くの趣味を持ち、余生を楽しんでいたというのです。

狩猟、投網、囲碁、謡曲、絵画、顕微鏡での観察、弓道、サイクリング、アウトドア、手裏剣、釣り、手芸、日曜大工。。。そうした中でここではもっとも没頭していたと言われている写真撮影に注目してみたいと思います。

大好きだった写真撮影

慶喜の撮影した写真は、現在『将軍が撮った明治―徳川慶喜公撮影写真集』(1986,朝日新聞社)で見ることができます。

慶喜はたくさんの趣味の中でも特に写真撮影に没頭していたそうです。日ごろは人目を気にしてあまり出歩かなかった慶喜でしたが、写真撮影のためにはあちこち出かけ、撮影して回りました。

1893年ごろ徳田幸吉氏に撮影指導を受けていますので、本格的に撮影してまわり始めたのはそれ以降でしょう。

しかし、慶喜は将軍在職中からすでに写真に興味を持っていたらしく、側室を写真を見て選んだというエピソードが残されているそうです。日本初のお見合い写真といえるかもしれませんね。

当初は日記代わりに撮っていただけの写真も、しだいに腕を上げ芸術の域に達していったようです。写真家の長野重一氏は腕前はセミプロ並みと評価しています。

明治30年代から40年代にかけて刊行された人気の華族写真同人誌『華影』にも何度も投稿しており、慶喜の写真は全部で9点掲載されたのが確認されています。

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慶喜が撮影した被写体

『将軍が撮った明治』を見ると、慶喜がさまざまな被写体にレンズを向けていることがわかります。

側室や女中などの人物や風景、庶民の生活や農業の様子も撮影しているようです。

その中には1907年の東京勧業博覧会の様子や靖国神社の大村益次郎像を撮ったものもあります。多くの人が行きかう中で元将軍・慶喜がカメラを構えていたとはとても不思議な感じがします。

しかし、1897年に静岡から東京に戻った慶喜は、政界に出ることもせず、舞踏会のような社交界にも参加せず、世捨て人のような生活を送り、写真が唯一の楽しみというような生活を送っていたのですから、当時の人々は町で慶喜と気付く人はいなかったのでしょう。

にしても自らを朝敵にし追いつめた大村益次郎の像を見上げた慶喜の心情はどのようなものだったのでしょうか。

残念ながら慶喜の心情を伝えるものは残っておらず、私たちは彼の撮った写真を通してそれを想像することしかできません。

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