徳川家康の死因とは!? 好物との関係とは?

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いまさら家康のことを事細かく説明しなくてもいいのではないかと思うほど、有名な徳川家康。まずはおさらいで簡単な略歴から彼の嗜好性を中心に考察してみましょう。

略歴

織田信長、豊臣秀吉の時代を経て、戦国時代の覇者となった家康だが、幼い頃は冷遇された日々が続いていました。5歳から始まる人質生活。12年の人質生活から開放されたのは桶狭間の戦いで今川が討たれた時だった。やっとの思いで戻った岡崎城は一揆で家臣が離反。

信長の無理難題にも耐えていたが、息子:信康とその母親の築山御前が武田に内通していると疑われたので息子を切腹を命じた。信長が討たれた本能寺の変の時には、やっとの思いで伊賀越えをして生還。

秀吉の時代には、小田原の北条攻めで秀吉に三河から関東へ移り、これ以降は江戸城を本拠にします。秀吉が死に関が原の戦いを経て、やっと家康の天下の時代になります。

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食べ物の嗜好性

戦国時代に70歳以上生きる長寿なのは健康志向が強かったからではないかとも言われています。家康は将軍になっても戦国時代の質素な食生活を貫いていたようです。食は月に二、三度で、あとは普段と変わらないものがよいといって、麦めし・魚・茄子などを中心として、食べすぎや飲みすぎにも留意していたようです。

また健康に気遣う家康は、薬づくりを趣味にしていました。本を読んで薬を調合して自分で飲んだり、家臣に分けたりしていました。

死因とは?

では家康の好物とその死因の関係について調べてみましょう。

一般的に「鯛の天ぷら」が原因といわれています。ではまずその時の状況を確認してみましょう。

1616年1月21日、家康は趣味のお鷹狩りに出かけた。その時に懇意にしてた京都の豪商・茶屋四郎次郎から、京の都では鯛をゴマ油で揚げて天ぷらにし、すりおろしたニンニクとネギかけて食べるのが美味しいと評判になっていると聞き、それを食べ過ぎてしまったことが原因で食中毒になり3ヵ月後に亡くなったというのが「家康の鯛の天ぷら死亡説」です。

しかし、揚げたもので食中毒になりにくいこと、食中毒で3ヶ月苦しむのも長すぎるので死因は別にあったのではないかと言われています。

昨今主流になっている死因は「胃がん」です。「徳川実紀」の中に出てくる家康の病状は、だんだんと痩せていき吐血と黒い便、お腹には大きなシコリがあったと書かれています。

そのことから、今では胃がん説が主流となっていますが、好物の鯛の天ぷらを食べたことによって症状が現れたのではないでしょうか。そうなると天ぷらも死因の一端だったのかもしれません。

家康の死因は鯛の天ぷらや胃がんの他に、銃による暗殺説、大坂夏の陣死亡説・関ヶ原死亡説などもあります。

余談

のちに、江戸城内で天ぷらを料理するのは禁じられていたのは、家康のことが原因ではなく、大奥の侍女が火事を出した為に禁じられたようです。

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