長州征伐はなぜ決行された?その原因とは?

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1864年と1866年の2回にわたり行われた長州征伐。

なぜ、幕府は2度も長州に兵を向けたのでしょうか。

その原因を探っていきます。

第一次長州征伐の原因

第一次長州征伐決行の理由は、1864年に長州藩が起こした禁門の変(蛤御門の変)の責任を藩主父子に問うことです。

禁門の変で長州軍は御所に向かって砲撃しており、これにより朝廷から長州追討の勅命が下りていました。

禁門の変以前にも長州藩は攘夷を掲げ、幕府に敵対する姿勢を示していましたので、幕府はこの機会に、長州藩の取り潰しか、少なくとも領土の大幅な削減や転封を考えていたようです。

しかし、征長軍の総督となった徳川慶勝は平和的解決の道を探り、薩摩藩の西郷隆盛の示した三老中の切腹で事を終結させてしまいます。

正義党と俗論党が流血の報復合戦を行っていた長州藩において、第一次長州征伐を戦わずして終えたことは、まさに九死に一生を得たとでもいうべきできことでした。

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中途半端な終結

そうした状況でしたから、第二次長州征伐の最大の原因は第一次長州征伐を中途半端な形で終わらせてしまったことといえるでしょう。

実は、第一次長州征伐の中止が宣言される前、高杉晋作が俗論党打倒を掲げ決起していたのです。

高杉は伊藤俊輔(博文)率いる力士隊を中心とする80数名の配下を率い、功山寺にて挙兵しました。そして山縣狂介(有朋)が副総督を勤める奇兵隊もこれに加わると、俗論党政権に不満を抱く人々も集まり、その後いっきに俗論党から長州藩の実権を奪還することに成功しました。

こうして長州藩は表面上では幕府に従うそぶりをみせながら、裏で着々と討幕のため武力を蓄えていったのです。

長州藩が以前にも増して幕府との対決姿勢を鮮明にしたことが、幕府に再び長州征伐を決行させる理由になったと考えられます。

既に薩摩は幕府を見限っていた!

そもそもなぜ第一次長州征伐がこのように中途半端な形で終結したのかといえば、そこには幕府の長州征伐におけるもう一つの理由がありました。

それは薩摩の国力の削減です。

当時の薩摩は、琉球との密貿易や薩英戦争後のイギリスとの交流により財政が潤っていました。それに対し、幕府の財政状況は逼迫した状況にありました。

幕府はこれによりを薩摩藩を脅威と考え、長州征伐を名目に薩摩藩の力も削ごうと目論んでいたのです。

そのことを少なくとも西郷隆盛は勝海舟から聞かされていたとみられており、西郷が薩摩藩の国力の温存のため戦闘を避けたと考えられるのです。

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