長州征伐の兵力と長州藩の死者はどれくらいだった?

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1864年、幕府は禁門の変を起こした責任を追及するため、長州に兵を向けました。

この長州征伐の兵力と双方の死者はどれほどだったのでしょうか。

戦闘のなかった第一次長州征伐

1864年の禁門の変(蛤御門の変)により、御所に発砲したという罪で長州藩は「朝敵」とされ、朝廷から長州征伐の勅命が下されました。

このいわゆる第一次長州征伐に動員された征長軍は薩摩藩を含む35藩、総勢15万人とされています。

しかし、総督となった徳川御三家筆頭・尾張藩主の徳川慶勝は平和的解決の道を探り、西郷隆盛の「三家老の切腹」による収束案を受け入れます。

これにより第一次長州征伐において直接的戦闘が行われることはありませんでした。

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圧倒的兵力差による第二次長州征伐

慶勝と西郷により難を逃れる形となった長州でしたが、1866年(慶応2)6月幕府は再び長州に兵を向けることとなります。

奇兵隊を創設した高杉晋作ら急進派が再び藩の実権を握り、幕府への対決姿勢をより鮮明にあらわすようになっていたからです。

しかし、今回の招集に薩摩藩が出兵を拒否してきます。理由は薩長同盟です。

1866年(慶応2)1月に坂本龍馬らの仲介により、薩摩と長州は政治的・軍事的同盟を締結していました。ところが、この同盟は当然密約であったため、幕府の知るところではなく、幕府は薩摩の出兵拒否に困惑します。しかし、長州をこのままにしておくことはできず、薩摩抜きでの軍編成を余議なくされました。

こうした問題を内包しながらも、幕府は第一次の時と同じく15万の兵を招集しました。それに対し、長州の兵力はわずか3500。

明らかな兵力差から、幕府は勝利を確信していたことでしょう。しかし、幕府の思うように戦況は幕府に有利には進みませんでした。

長州征伐における長州藩の被害は?

第二次長州征伐においては大きく4つの戦いが行われました。

  1. 大島口 長州藩:500 vs 幕府軍:2,000
  2. 小瀬川口 長州藩:2,000 vs 幕府軍:50,000
  3. 小倉口 長州藩:1,000 vs 幕府軍:20,000
  4. 石州口 長州藩:1,000 vs 幕府軍:30,000

大島口を除けば20倍、30倍という幕府軍に長州藩が挑んだことが見えてきます。しかしそれにも関わらず、長州藩の死傷者数は事故死なども合わせた合計で261人でした。

長州藩はなぜこの圧倒的な寡勢で幕府軍相手に勝利を収めることができたのでしょうか。

By: ume-y

幕府軍の敗因は?

最大の原因は、士気です。

幕府軍の諸藩の兵たちは、この長州征伐を自分たちの利害とはまったく関係のないものと考えていました。そもそも外敵が迫っていて自国の守備を堅固にしておかなければならないときに、幕府の面目や勢力保持のために駆り出されたのですから、迷惑ですらあったかもしれません。

そして敗北の原因としてもうひとつよくいわれるのが、軍備です。

長州軍は、大村益次郎により西洋式の軍備に改革されていました。第二次長州征伐の号令の後には桂小五郎により、長崎のイギリス商館人・トーマスグラバーからミニエー銃4,300挺、ゲーベル銃3,000挺を購入しています。

さらに、農民・町人階級の市民軍を確立し、これまで有志により結成されていた諸隊を整理統合して藩の統制下におきました。

こうした西洋化した軍隊に幕府は従来通りの装備で挑んだため敗北したという認識が広まっているようです。

しかしながら、幕府の軍隊の西洋化がそれほどまでに諸藩より遅れていたかといえばそうでもありません。

幕府軍の西洋化はすでにアヘン戦争後には始まっていて、高島秋帆らを登用して世様式軍備の研究が行われていました。1854年のペリー来航以降は、幕府の武芸訓練機関である講武所でも西洋式の砲術や戦術の研究が行われていたようです。

井伊直弼が大老となると、一旦は停滞してしまいますが、桜田門外の変で井伊直弼が暗殺されると、再び本格的な西洋式軍隊創設が目指されました。

幕末期は幕府の勢力も下降気味というイメージがありますが、それでも諸藩よりも豊かな経済力があるわけで、兵器もフランスから最新鋭のものを購入していたといわれています。

しかしながら、どんなに良い武器も使う人がやる気がなかったら威力も半減となってしまっても仕方ありません。

幕府は長州藩の巧みな戦術の前に緒戦で敗北し、遂にはこのタイミングで将軍・家茂が死去してしまったことで、長州藩と講和を結ぶこととなったのです。

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