高橋是清は間違って奴隷契約書にサインをしてしまったってホント?

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高橋是清は明治・大正・昭和初期にかけての政治家で、第20代内閣総理大臣です。大蔵大臣としての評価も高い彼は、13歳の時に留学をしました。その時にホームステイではなく奴隷にされてしまったという過去があったそうです。それはいったいなぜなのでしょうか。

素行の悪さのせいで騙されてしまった

長い鎖国を終え、開国に向かう幕末、江戸では勉学好きな少年たちを横浜に送り、英語の勉強をさせていました。高橋是清は12歳の時に横浜に送られ、「ヘボン式ローマ字」有名なヘボンの奥さんに英語を習います。

しかし、子どものくせに酒を飲んだり、主人の皿でネズミを焼いたりと素行の悪かった高橋は、仙台藩からの米国派遣留学生には選ばれませんでした。素行が悪くとも向上心のあった高橋はどうしても留学をしたいと望んでいました。

そんな時、アメリカ人の貿易商、ユージン・ヴァン・リードが米国で学校に通わせてくれると約束してくれました。それを鵜呑みにして、高橋は契約書にサインをしてしまいました。実はその契約書は奴隷売買契約書だったのです。学費や渡航費まで着服された高橋は望んだのではない形で米国行きの船にのせられてしまいました。

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米国での奴隷生活

オークランドやサンフランシスコなどを転々としながら、牧場やブドウ園などで牛馬の世話や食事係、庭仕事などを奴隷同然にさせられて日々を過ごしていました。

そんな中でも勝気な高橋は英語の読み書きを身につけ、中国人やアイルランド人、中には米国人などの仲間をつくりました。そんな日々を過ごしていた時、祖国日本の明治維新の報を受け、どうにかして帰国して日本で働きたいという希望を持ちます。

そして、仲間たちとともに悪徳米国人と対決し、ついに奴隷売買契約書の破棄を勝ち取ります。こうして高橋は辛かった奴隷生活から解放されたのです。

日本に密入国

こうして帰国の途についた高橋ですが、生まれ故郷・仙台藩は明治政府では逆賊とされていました。そこで高橋は当時治外法権を受けていた外国人として、日本に入国するように決意しました。たどり着いた横浜港では英語をしゃべり続け、何のチェックもされずに入国することに成功しました。米国で苦労して習得した語学が役に立った瞬間でした。

帰国後は名を変えて東京に潜伏しながらも、英語を活かした仕事ができないかと模索し、サンフランシスコで知り合った森有森の薦めで文部省に入省しました。ここから高橋の後に総理大臣となる道が拓いていったのです。米国での奴隷生活も無駄ではなかったと思いたいですね。

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投稿者プロフィール

天智天皇~称徳天皇朝が好きな一児の歴女ママです。
夢は奈良の明日香村付近に住んで、その時代の古墳やゆかりの地巡りを満喫したいなと思っています。
皆さんに読みやすく、そして分かりやすく面白い文章をお届けしたいです。

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