平将門の首塚のご利益とは?

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平将門の首塚は、パワースポットとも呪いの心霊スポットとも言われています。

平将門は、平安時代中期に関東で「平将門の乱」を起こします。

その後、殺されて首をはねられ京都で晒し首にされます。

しかし、その首は腐ることがなく、ある日、自身の胴体を求めて、関東の方向に飛んで行ったと言われています。

その首が落ちたとされる場所が、平将門の首塚です。

関東の各地に首塚と呼ばれる場所が数か所ありますが、今回は一番有名な、東京のオフィス街・大手町(東京都千代田区大手町1-2-1)にある首塚について解説していきます。

いつから大手町に首塚があるのか

平将門は、平安時代中期の関東の豪族です。

このころ、朝廷は地方の政治を国司に任せており、国司は勝手に税率を変えるなど、好き放題していました。

平将門の祖父・平高望も元々は上総の国(いまでいう千葉県)の国司として赴任していましたが、任期後も居座り続け、勢力を拡大していきます。

そこで財力を蓄えていく過程で、自身を守るために武士団を形成するようになります。

平一族が力をつけていき、平将門の父・平良将が亡くなると、一族の中で相続争いが勃発します。

その争いの中で、平将門は他の国府も攻撃し、関東一円を手中に収めます。

国府を攻撃したことが、朝廷に反旗を翻したと見なされ、平将門は940年に討死します。

首塚がある大手町の場所は、武蔵国豊嶋郡芝崎村と呼ばれ、いつの頃からか将門の首塚と称するものがありました。

その後、鎌倉時代の1302~5年に、将門の首塚の近くで天変地異が起こり、村人たちを悩ませていました。

1307年、僧の真教上人が平将門の霊が供養し、首塚の上に板碑を建立しました。

その後、神田明神に合祀され、この地の守護神となっています。

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パワースポットやご利益があると言われる所以は

首塚の敷地内には、蛙の置物が数多く置かれています。

平将門の本拠地は茨城県西部から千葉県北部にあたります。その茨城にはガマ蛙で有名なつくば山があります。

また、将門の娘・滝夜叉姫が父の復讐にたちあがり、つくば山のガマ蛙の毒気により妖術使いとなったという言い伝えがあります。

将門の首塚がある大手町は、オフィス街であり、また周辺には官公庁も多くあります。

京で晒された将門の首が胴体を求めて飛んできた伝説から、「無事に『カエル』」と言う意味を込めて

「役人が海外勤務となるときに無事にカエル」

「地方に転勤となるサラリーマンが、栄転して東京にカエル」

など、一種の縁起担ぎでパワースポットになったと言われています。

逆に呪いがあると言われる所以は

首塚は、江戸時代も神事が行われ、丁重にお祀りされていました。

しかし、1923年の関東大震災により、首塚は損壊してしまいます。

その跡地に大蔵省の仮庁舎が建てられることとなり、首塚の大規模な発掘調査が行われました。

ところが、この工事関係者や省の職員、さらには時の大蔵大臣・早速整爾までもが相次いで亡くなり、平将門の祟りだと噂されるようになります。

結局、その場所にあった大蔵省の仮庁舎は取り壊されることになりました。

その後も第二次世界大戦後にGHQが周辺の区画整理をしようとしますが、不審な事故が立て続けに起こり、計画を取り止めたこともあります。

首塚の周辺はオフィスビルが多く立っていますが、この首塚の一角だけは、鬱蒼とした木々が生い茂っています。

その雰囲気からも、呪いがある心霊スポットだと言われる所以かもしれません。

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